使徒言行録27 章20-26,33-38 節
皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。(使徒27:33-34)
安全な航海になるはずが、想定に反して嵐に遭遇し、舵がまったく効かず、難破は目前。死の恐怖が船中の人々に襲いかかります。生存のための駆け引きや暗躍、見苦しい闘争が船中に繰り広げられていきます。限界状況の中での、そうした人間模様が生々しく描かれているのが使徒言行録27 章です。
嵐は自然現象です。人間の想定できない現象であって、乗員の誰かのせいで起こったわけではありません。あらゆる自然災難は人間の罪のせいで起こるのでないのです。しかし、それら災害・災難の中で、人間の罪深い行動は様々に露出してきます。恐れや絶望の中で、人間はとても弱いものであり、何より悲しいくらいに罪深い存在であることに気づかされる場面でもあります。それでも、そのような限界状況・絶望状況の中に、希望と信頼を呼びかける神の声は響いています。われ先にと延命を図る争いの中に、「共に助かれ」「共に生きよ」との神の声は響いています。
パウロは、囚人の一人として船に乗り合わせています。ユダヤ人指導者たちに命を狙われ、暴動の中で死にかけながら、ローマ駐屯兵たちに保護されて九死に一生を得ました。しかしユダヤ人たちの執拗な「身柄受け渡し」の要求や、暗殺の謀略(ぼうりゃく)は止みません。パウロは意を決し、ローマ市民権を持つ立場を利用してローマ皇帝に上訴(じょうそ)したのです。そのため、ローマで裁判を受けることになり、海路、護送されていく途上でした。
パウロを含めた囚人たちを無事連行するために皇帝直属の兵隊が同船しました。ローマ所有の護送船ではなく、民間の大規模な商船に乗り合わせることになりました。ですから、この船には種々(しゅじゅ)の立場の人々が乗り込んでいました。船を所有する船主、また渡航を請け負う船長と船員たち、積み荷を所有する商人たち、そして囚人たちとそれを護送する兵団・・・と少なくとも五者が乗り合わせており、総勢276 人であったと記されています。古代の船舶としてはかなりの大型です。だとしても、自然の力の前には歯が立たず、この船は嵐にのまれかけています。五者五様に立場は異なり、守りたいものも別々、行動様式も別々、慌て方も狼狽え(うろたえ)方も足掻き(あがき)方も様々です。そのような中、囚人として乗船していたパウロが人々に語り聞かせ、呼びかけた行動こそが27 章最大の見物です。彼は、「いっしょにごはんを食べよう」と言うのです。立場を捨て、人間として、誰もが素に戻って「いっしょにごはんを食べ、一生に生きよう」と呼びかけるのです。【吉髙叶】