2024年5月19日 ペンテコステ礼拝「共振することば」

コリントの信徒への手紙一12 章1-11 節

一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」(使徒言行録2:4)

キリスト教会は、本日をペンテコステ(聖霊降臨日)と呼んで記念し、礼拝を捧げます。イエスの復活から50 日目のこと。イエスが天に上げられる際に、「あなたたちに聖霊が降る日がくる」と言い残した約束を信じ集まっていた弟子たちに、実際に聖霊が降り、弟子たちは自分が習得してきた言語ではない言葉で語り始めた、という現象が起こりました(冒頭の聖書)。これが「ペンテコステ事件」と言っても良い出来事です。
ところで、このペンテコステの現象を、「人間の言語ではない『天の言語・天使たちの言語』(異言・いげん)」を語り始めたのだと理解し、霊的に高められた人間の証(あかし)として「異言を語る」ことに強い関心を抱く人々もキリスト教界の中にはいます。異言によって、神との直接の交信がゆるされ、霊的にいっそう深められていくというのです。けれども使徒言行録が記しているのは「ほかの国々の言葉で話し出した」ですから、それひとつを取ってもたいそう不思議な現象ですが、重要なのは「神との深い交流」ではなく、「異国の人々との新たな交流」が始まる契機(けいき)となったという点ではないでしょうか。
弟子たちが宣教を始めた時代の「外国人観」を見ておきましょう。ユダヤ的な外国人観は、とても侮辱的なものです。自分たちユダヤ人は「選民」であり、それ以外は「異邦人」で、汚れているので交わってはならないとしていましたから、その外国人観は差別的で、軽蔑的で、排外的でした。ローマ帝国的な外国人観は、とても支配的です。すべての国々を殖民地化し武力で統合していましたから、外国人に対しては利用主義的で、搾取(さくしゅ)的で、懲罰(ちょうばつ)的で、暴力的でした。そのような外国人観の渦巻く(うずまく)世界に進み行かねばならない弟子たちが「ほかの国々の言葉を話し始めた」というのですから、ペンテコステ事件の際立った(きわだった)本質とは、弟子たちが、対話的、共感的、交流的、協力的、創造的な道に招かれ、そのための力を授かっていったという点にあるのです。
去る5 月17 日、衆議院法務委員会で、永住資格を持つ外国人から、その永住資格を取り消すことができるという入管法改悪案が可決されてしまいました。日本の外国人政策を基礎づけている入管法は、外国人を安価な労働力としてのみ捉え、とても差別的で、利用主義的で、管理的で、脅迫(きょうはく)的です。こうした現実の中で、ペンテコステ事件の意味合いを見つめ直してみることは、キリスト教宣教の根幹に関わることだと感じます。吉髙叶

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