コリントの信徒への手紙二12 章1-10 節
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。(二コリント12:9)
「コリントの信徒への手紙二(第二コリント書)」の10-13 章は、もともとは独立した手紙で、しかも「第二コリント書」より以前に書かれたものです。コリントの教会に宛てて「第一の手紙」を送った後に、反応を確かめたくてパウロはコリントを訪問しますが、パウロの期待に反して、彼を待っていたのは自分を罵る罵詈雑言の数々でした。失意と悲しみを抱えてアジア州に戻ったパウロは、コリント教会に宛てて涙ながらの手紙を書きます。浴びせられた悪口に対する反論の手紙を書きます。それが10-13 章の部分で、「涙の手紙」とも名づけられています。
「使徒」としての正当性を疑問視され、「外見の悪さ」や「威厳の無さ」をあげつらわれ、抱えていた病を引き合いに出されて嘲笑された、そんなパウロの悔しさや痛みが爆発するかのように、この手紙は書き始められています。普通なら口にしないような「自分の誇り」を書き連ねてしまう、そんな彼の悔しい胸の内が手に取るようにわかります。
ところが、自分の「正当性」や「誇り」を書き重ねるうちに、彼は自分が経験したあまりにも不運な艱難や危難、思えば苦労ばかりであった道のりを振り返り始めます。そして、自分を常に悩ませてきた持病のことにも思いを馳せていきます。自分の誇りを示すために、「正しさ」や「強さ」を立証しようと意気込んでいた気持ちが、手紙を書き進めるうちに、いつしか「苦しみばかりの経験」や「自らの弱々しさ」への洞察へと転嫁しているのです。視線が「強さ」から「弱さ」へと移り変わっているのです。
「わたしは弱いときにこそ強いからです」。ケンカ腰にはじまった手紙は、自身の弱さの告白、「弱さの受容」へと収斂していきます。「第二コリント書」には「あからさまな
パウロ」が表れていて、たいへん人間くさく、それゆえに興味深い手紙だと言えます。
そもそも「手紙」とは、送り手と受け手のパーソナルなものですから、だいたいにしてパウロは、自分の手紙が後に「聖書」に納められ不特定多数の人々に読まれるようになるとは思ってもみませんでした。そんな「手紙」を読むことを許されているわたしたちには、「他人の手紙を読んでいる」という節度が求められます。ですから、手紙という性質や文脈を抜きに一部のフレーズを抜き出して、まるで一般的真理のように勘違いし、他人に対して「あなたの弱さは神の恵みです」など語ってしまうのは良くないことです。吉髙叶