マタイ福音書2 章7-12 節
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ9:1)
クリスマスおめでとうございます。2024 年という「この年・この時」を想い見ながら、救い主(平和の主、解放の主)の訪れを祈り求める礼拝をご一緒に捧げましょう。
市川八幡教会のクリスマス準備は真夏(7 月末)に始まります。まずは今年のクリスマス・テーマを考え合うのです。メンバーたちで話し合って、今年は「生まれてくださいいのちの光よ」になりました。話し合いはちょっとだけもめました。「生まれてくださいの『て』が変じゃない?」という話になったのです。あまり、きれいな響きじゃない。救い主をお迎えする人間側の謙遜を表現するなら「お生まれください」じゃないのか? などなど。けれど、いまこの時も、爆撃が激しさを増し、死者が四万人に迫ろうとしているガザの、まさに「死の陰の地に住む者たち」にとって、声とは、叫びとは、「やめてください」「止めてください」「終わらせてください」という悲痛なものでしかないはずです。奥能登の大地震と水害の重被災に閉ざされた人々(「闇の中を歩む民」)にとって、声とは、祈りとは、「知ってください」「助けてください」「支えてください」「届けてください」ではないのか。そうした人々が、そうした中で求める「光」(いのちのためのなんらかの兆し)を求める待望や懇願の「声」は、「お生まれください」じゃない、「生まれてください」なのではないか。少しでもそれらの「切実」に心を留め、「きれいで楽しいクリスマス」を過ごさないようにしよう、そして「いのちの光」をいっしょに、切実に求めて行こう・・・。今年のテーマには、そのような想いと祈りが込められています。
イザヤ書9 章にあるように、「闇の中」「死の陰」の世にあって、「大いなる光(いのちの新たな兆し)」を待望してきた人々の象徴こそが、マタイに描かれている東方の学者たち(旅人たち)ではないでしょうか。その切実なまなざしは、とうとう仰いでいた天に、「兆し」をとらえたのです。そして、その「兆し」を自分自身の生の事実にしようと旅に出ます。その旅路は遠く、苦労に満ちており、罠に落ちそうにさえなります。「兆し」を見誤り、見落としそうになるのです。しかし「それではない」「そこではない」と、「兆しの徴(きざしのしるし)」は学者たちの頭上を越えて進んで行きます。「生まれてくださいいのちの光よ」と強く念じ、天を仰ぎ、兆しの徴と共に旅を続ける。その旅路は、必ずや「いのちの光」、平和と解放の主のもとにつながっていることを信じて、メリー・クリスマス! 吉髙叶