2024年9月8日礼拝「困難な中のインマヌエル」

創世記39 章1-23 節

主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。(創39:23)

兄たちの妬みを根にした悪だくみによって、ヨセフはエジプト行きの隊商に売られてしまいます。奴隷としてヨセフを買い取ったのは、エジプト王の親衛隊長ポティファルでした。ポティファルはヨセフの聡明さ・勤勉さに注目し、ヨセフを最大級に重用します。ところが、ポティファルの妻もまたヨセフに魅了され、床を共にするように迫るようになります。ヨセフはこれを拒み続けるのですが、自分の求愛を受けてもらえない主人の妻は逆上し、「ヨセフが自分を襲おうとした」と狂言を語ります。これに怒ったポティファルは、ヨセフを「宮廷囚人用の監獄」に収監しますが、この宮廷監獄の中でも彼は監守長に気に入られ、監獄内のとりまとめ役を任されます。オセロゲームのように不運と幸運の間を反転させられながら、ヨセフは次第に王ファラオとの出会いの局面に接近していくわけです。39 章はそのように流転を繰り返す「ヨセフ物語」一幕なのですが、このエピソードの中で気になる点を一つ、この巻頭言にノートしておきます。
ポティファルの妻は、ヨセフに袖にされ、逆上して次のように叫びます。「見てごらん。ヘブライ人などをわたしたちの所に連れてきたらから!」「あなたがわたしたちの所に連れてきた、あのヘブライ人の奴隷は!」と。これは、潜在的な侮蔑と差別の本音が暴露されてしまった言葉です。実は、イスラエルのことを「ヘブライ人」と民族名的に呼ぶようになる以前、古代世界では、パレスチナにもバビロニアやアッシリアにも、またヒッタイトやエジプトにも「ヘブライ人」と呼ばれる人々が存在し、それは社会層の中で最も流動的な下層階級の人々への蔑称であったということが、近年の考古学的な発掘が証明しています。どの国にあっても氏族に属さず家系に保護されない「社会的立場のおぼつかない人々」を「ヘブライ人」と蔑んで呼んでいたのです。これは何を示唆するでしょうか・・・。やがて、エジプトにあって虐待・酷使され、民族浄化の危機にさらされていたイスラエル(ヘブライ人)が、抑圧の地エジプトから脱出していくというのが「出エジプト」事件の醍醐味であり、「神が、奴隷の民の叫びを聞かれ、助け出されたのだ」という信仰がそこにはあります。しかし、それは単に「イスラエル民族」の救済の物語にとどまらず、「抑圧された人々が、暴力支配の地から解放されていく物語」としての「意味と位置」を持っているということです。片時も忘れたくない観点だと思います。吉髙叶

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