コロサイの信徒への手紙2 章6-7 節
キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、あふれるばかりに感謝しなさい。(コロ 2:6-7)
私たちはどこにいるのでしょう? 私たちはこの世にあっていったいどこに立っているのでしょう? 私たちは神の御心と御手の上に立ち、聖霊の守りの中に立っています。
私たちは誰でしょう? わたしたちはこの世にあっていったい誰でしょう? 私たちは、神の愛する子ども、神に愛されている「神の子」なのです。
聖書の御言は「キリストに根を下ろして造り上げられなさい」(コロサイ2:7)と語ります。私たち人間は何かに根を下ろしていないと不安定で仕方がありません。根を持っていなければ、何かに根を張っていなければ、人生は危ういものだということを誰もが感じているのではないでしょうか。懸命に生きてきたつもりだが、結局は「何ものでもなかった」という寂しい結末に誰もが怯えているのではないでしょうか。生きる場や社会の価
値観、常識や通年がとても揺らいでいます。新コロナの経験も地殻変動のような経験でした。こないだはこれ、今はこれ。とりもなおさず、よさそうなものに結びつこう、「専門家」の言うことに従ってみよう、とりあえずはベターなものを選んでおこう、と。
けれども、こないだまで強そうにみえていたもの、みんなが大丈夫だといっていたものが、あっけなく壊れたり揺らいだり、他愛もなくつぶれたりする「非常」や「非情」を、こんにちの私たちは経験として知っています。どこに根をはったら良いのか、何と結びついたら良いのかと一生懸命に生きながらも、不安が消えることがありません。
聖書の御言は、私たちの人生の歩み方・道の選び方を方向付ける「魂のありよう」として、「キリストに結ばれて歩むこと」と「キリストに根を下ろして造り上げられていくこと」を呼びかけてくれています。
イエス・キリストに根を下ろす。それは目に見えず、ばかばかしいと思われるのかもしれませんが、「キリストに根を下ろす」人は、土台を失うことがありません。ありとあらゆるこの世の低みと苦しみの中から「あなたと繋がっている」と語りかけてくださるイエス・キリスト、このキリストの支えは失われることがありません。悲惨な十字架の中でさえ消え去ることのなかったイエスの愛、そして、その愛こそがご自身の御心であると祝福されイエスを復活させられた神の愛が、私たちの土台です。根を包み込み、握りこんで離さないような土台が、イエス・キリストの命、神の愛なのです。【吉髙叶】