2011年3月11日、驚愕の東日本大震災が起きてから数ヶ月後、わたしと妻は南相馬市の海岸沿いの住宅地に足を踏み入れました。すべての住宅が土台の痕跡を残して水平に切断されていました。三方数百㍍にわたって、真っ平らでした。しかし、足下のひとつひとつの家の区画は、切り取られ取り残された土台の仕切りでわかりました。そしてそのぎざぎさの断面にへばりついている泥だらけの熊のぬいぐるみ。ここに、約1800世帯の住処があり、その何倍もの人々の暮らしが、あの日の前日まであったのです。
「切断」。町が真横に切断されていました。昨日までの光景が切断されました。人間の時間が昨日と今日に切断されました。家族の交わりが切断されました。人生の意味が切断されました。人間のあらゆる連続性が壮絶な力によって切断されたのでした。それでも、切断された断面に、人は再び足を踏み入れ、鍬を入れ、がれきを除き、種を植え、断ち切られたものを再びつなごうとして生きてきたのです。ある区域を除いて。たしかに地震と津波の切断力は爆発的でした。しかし、東京電力福島第一原発事故から放たれた放射能の切断力は暴力的で、悪魔的でした。もはや、人々に再び耕すことを許さず、二度とそこでつながる事ができないほどの切断面を地上に彫りつけたのです。(吉髙叶記)