コリントの信徒への手紙一 11章23-34節
私たち市川八幡キリスト教会は、その規約の中に二つの礼典を定めています。それは「バプテスマ」と「主の晩餐」です。そう、私たちバプテストは、一般的なキリスト教界で「聖餐式」とか「聖餐」と言い表している礼典を「聖餐」とは呼ばずに「主の晩餐」と呼びます。キリスト教の伝統の中には、聖餐・聖餐式にかかわらず、「聖」がつく言葉はけっこうたくさんあります。聖霊、聖書はもちろんのこと、聖典、聖職者、聖衣、聖人、聖徒、聖母、聖夜、聖人、聖地、聖歌・聖歌隊、などです。それらは、「聖別された○○」「特別な位置や意味を備えられた○○」として、他の諸々のものとは区別・峻別されて理解されていくわけです。敬われ尊ばれ、場合によっては畏れを伴って理解されます。
はじめにことわっておきますが、バプテスト教会は、教会という場・空間からなるべくこの「聖」holyという語を取り払おう(相対化しよう)と努力してきたグループであろうと思います。そもそも、17世紀に英国国教会という政治と宗教制度とが混合して、民衆の生活の全般をその内面ごと支配していた国教会から飛び出して、つまり教会の権威という制度(聖なる秩序世界を守り導くという触れ込みで、一人一人の人間の自由をまったく封じ込めてしまうあり方)から脱出して生まれたのがバプテストでした。バプテスマを受けるのであれば、一人一人の自覚的な信仰をもってクリスチャンとなるべきで、生まれてすぐに自動的に幼児洗礼を授けて、本人の自覚も信仰告白もないところで入信させられるのはおかしい。しかも聖書的には川に全身を沈めて新生を表すほうが望ましいし。そう考えて、自分たちでお互いに水に沈めて再バプテスマを授け合った。そのようにしてバプテストの群れが誕生したわけです。当然のことながら、それは当時の教会支配の世界にとって大事件でした。秩序を乱し、成立している支配体制を揺るがす行為だと断罪され、ヨーロッパ中で大迫害、大弾圧を受けました。そんな過激で危険で無秩序な集団を擁護してくれる聖職者などは当時はいませんから、バプテストたちの群れには、誕生したときには司祭や牧師、つまり聖職者の同伴はまったく無かったのです。言い換えればあらゆる聖別された物事から隔絶されて、改めて聖書にシンプルに戻って信仰共同体をつくっていったわけです。そういうわけで、バプテストの指向性(思考性)の中には、聖なるものを相対化するスピリットがあり、聖なる物なしに直接に聖霊の導きをいただき、みことばに生きるのだ、という気概が備わっていたということです。
さて、先ほど英国国教会の民衆支配と言いましたが、キリスト教の歴史という点では、カトリック教会が圧倒的に長く信仰世界を支配していました。ある時期は国王さえをも凌ぐ権力を有していました。そのような世界にあって、「支配のシステム」としてかなり効き目があったのが「聖餐停止」という教会の罰則です。それから「破門」ですね。聖餐に与ることは、まさしく救われていること、救いが継続していることを意味していました。「化体説」と申しまして、パンと葡萄酒を教会の司祭が聖別したとたん、それはそのままイエス・キリストの肉と血とに変化して、そのものになるという理解でしたから、これをいただき続けないならば、「罪赦されない者・救いから漏れている者」ということになり、教会に結ばれるにふさわしくなく、また教会から排除されるということは、すなわち「天国への門が閉ざされた者」としての烙印を押されたことになります。ですから、領主であろうが民衆であろうが、人々はみんな「聖餐停止の罰」を恐れるわけです。宗教の教理が支配の有効な道具になる実例です。そのように聖なるものは、ひっくり返せば、支配の道具・裁きの印となるのです。
この「聖」をめぐって冒頭から説明をしたのは、新コロナパンデミックという未曾有の状況の中で「主の晩餐」をどう捉えていくのか、という問題とけっこう関係があるからです。カトリック教会や英国国教会(聖公会)は言うまでも無く、宗教改革から生まれたプロテスタント教会の中でも、メインラインと称されるルーテル教会、長老教会、改革派教会、メソジスト教会、組合教会にあっても、「洗礼と聖餐」は通常サクラメント(秘蹟)として理解されます。カトリック等は「化体説」、プロテスタントは「象徴説」(パンとワインとはキリストの体と血とを象徴している)と、それぞれ位置づけは異なるのですが、それでもプロテスタント諸派であっても、やはり「聖儀式」としての理解は強く、礼典の執行の有無は教会の死活問題に関わるとして、その分、執行ができないことは大きなストレスになっているようです。
バプテスト教会は、バプテスマと主の晩餐のふたつの礼典を、サクラメント(秘蹟・聖儀式)とは理解せず、オーディナンス(主の託宣)と理解し、「主の死を想起しつつ共に生きる」ことの再決心の時と理解しています。つまり人間の神への応答行為、主の命令への応答行為である、と。そういう点で別の言い方をすると、カトリックや他の多くの教派の礼典が、「神から人への恵みの流れ」(神→人)であるのに対し、バプテスト教会では「人から神への感謝と応答の流れ」(人→神)であると理解しています。しかも、その主の託宣・主のご命令は、教会という共同体に託された使命ですから(教職者の特権などではありませんから)、教職者でなくても信徒の代表が、礼典を執り行うことができます。礼拝宣教(説教)でさえも信徒がしてはならないと考える教派がまだまだ多い現実ですが、バプテストはあくまでも信徒の集まりとしての教会の実態を大切にしているわけです。
主の晩餐は、教会の制度を守るためにするのではない。また、パンと杯を受けることそれそのものが「救いのある・なし」を表すことではない。大切なことは何か。それは、本日のテキスト、第一コリント11章にも記されているように、
①主の死の意味を想起し、主の死を告げ知らせて生きる決心をすること。
②一つのパン、一つの杯から、人々にわかちあわれていく「つながり」を感じること
③共に主に応答してあゆむ共同体の形成を確認すること です。
ところが、コリントの教会は、せっかく割礼によらず律法によらず、誰もが主イエス・キリストを信じる信仰によって救われるという福音を聞いて共同体に加わったにもかかわらず、その教会の中に、身分や社会的階層が持ち込まれてしまい、一緒に食事をすることができない状態になっていました。パウロはそのことを大変憂えて、一つのパン・一つの体、主イエスから注がれる恵みを共にわかちあいながら一つのからだとされていく教会になりなさい。と、そのことを指して「わきまえないでのみくいするな」と語っているのです。
さて、もう一つ大切な点を一緒に確認いたしましょう。市川八幡キリスト教会は、「オープンコミュニオン」方式を採用しています。バプテスマ(洗礼)を受けているかどうか、を、主の晩餐に預かれるかどうかの前提にはせず、「神の愛の迫りを感じる者がだれでも配餐に与れる」と理解しています。1998年の総会で、理解の再確定をいたしました。またその際に、「贖罪論」の見地からだけではなく、「主の開かれた共食の食卓論」の視点を大切にするために、二種類の式文を隔月に用い、強調点を変えて実施しています。どういうことかと言いますと、「主の死を記念して」と言いましても、十字架の死には、教理的には「贖罪」つまり私たち人間の罪を贖うために神の子が代償として死んでくださった、という意味があるわけですが、他方「主の死」すなわちイエスが十字架に吊される道のりの中には「主の生き方」があるわけです。小さくされ卑しめられていた人々、民衆に結びついて生き、罪人と呼ばれた人たちと食卓を囲み、そこから神の国の約束を語り続けられた、というイエスの生き方が「主の死」につながっています。「主の死を記念する」もう一つの内実は「主の生を記念する」ということでもあるべきなのです。主の食卓、それは分け隔てのない招きの食卓、恵みのわかちあいの食卓でもある、ということで、贖罪論に力点を置いた式文と、共食の交わりに力点を置いた二つの式文を隔月で朗読して過ごしてきたのです。また、教会に託された主のオーディナンスですから、牧師が不在の時であっても、執事が礼典当番を務めることもすでに実施しています。これが、市川八幡キリスト教会の「主の晩餐」についての考え方、立場です。
さて、新コロナ状況に見舞われてからもう一年以上が経過しました。教派の違いを超えてあらゆる教会にとって悩みの種となっているのが「聖餐式」「主の晩餐」の実施の問題です。特に「聖餐」こそが礼拝の本質(実態)であると考えるカトリック教会などは、礼拝ごとにそれを執行し続けることこそが至上命題ですから、でも信徒たちを教会に集めると感染拡大につながるということで、苦肉の策として、「信徒のみなさんは御堂にあつまらないでよろしい。司祭たちが聖体拝領に与ることで、信徒全員が与ったとみなすから」という教書を司教団が出してコロナの現実に対応しておられます。ですから、緊急事態宣言の中で、信徒が誰もいない中で、聖餐式は司祭さんたちが担っておられます。
ところが、先ほど確認しましたように、バプテスト主義によれば、「主の晩餐」は「聖餐」ではありませんから、必ずしも実施を絶対化する必要はありません。また、主の晩餐の頻度も決められているわけではありません。そもそも主の晩餐を月一回実施するという根拠はどこにもありません。教会形成にとって有効なペースとして定着したものと思われます。とはいえ、聖書に記されている主イエスの託宣・命令ですから、軽んじられてはならず、「できないときは、できるようになるまで、しなくてもいい」というのはご都合主義です。やはり「食卓を囲むようにして一つのパンから分けられ配られる」という「形」をも大切にすべきです。そこに象徴されている「ことがら」があるからです。
そう考えると、①月に一度は主の晩餐をしなければならないので(と絶対化するのも)、②会員が礼拝堂に来られなくても聖職者が実施するというのも、③リモートを用いて、それぞれがモニター画面の前で、自分で用意したパンとぶどうジュースで参加する(実際のケースです)というのも、いずれにしても、バプテストの主の晩餐の本質からも、そもそもの主イエスの託宣の想いからも、また一つのパンを裂き合うという意味合いからも、どれも離れてしまっているように思えます。バプテスト教会の中には、コロナになっても主の晩餐を続けてきた教会もいくつもあります。問題は「礼拝堂に来ることができないメンバーたちはどうなるのか」ということです。④礼拝堂に来ている人で配餐を行い、リモート参加の人々はそれを画面で見ている、というのも「共同のわかちあい」を現せていないように思えます。人々がやむを得ず隔絶されている状況の中で、実際にパンと杯を用いて主の晩餐を実施しようとしても、なかなか大切なことをカバーしきれないわけです。
そのような悩みを抱えるなか、市川八幡キリスト教会では、新コロナ状況下にあっては、上記の理由から物理的にパンと杯を配餐をすることにはこだわることをせず、「主の死を記念(想起)する時」となり、「神への応答を再決心する時」となるようにと、第一主日の礼拝の中で、主の晩餐の制定の聖書箇所・第一コリント11章23-26節を朗読し、黙想の時を持つようにしてきました。ただし、理念的なことはその方法でクリアできるのかもしれませんが、やはり実際にパンと杯の配餐をしませんから、「一つのパンと杯を分かち合う群れ」としてのシンボリックな営みにはならない。「主の晩餐」は、個々人の心の中の「観念」に解消されてしまっていいのかという問題が残ります。また「主の死を記念する晩餐を守り続けよ」という主イエスの託宣は、形(身体性)を伴うものとして実感(共に食べ、味わい、共同を感じる)すべきなのではないのかという、「身体性」のテーマが残ります。
さらに第一コリント11章の制定の言葉だけの朗読ですと、市川八幡教会の主の晩餐理解の特徴、つまり「主イエスの生き方」の想起、「主イエスが誰と食卓を囲んだのか」ということの記念が抜け落ちてしまっているのかもしれない、という課題があります。今の聖書朗読と黙想の方法も、わりと新鮮に思えましたし、妙な話ですが時間短縮にも適しているのですが、やはり課題を抱えたままであると言えます。新コロナ感染の心配が解決されていない以上、礼拝堂に来ることを控えている人がおり、それは尊重されるべき判断であって、そのような方々がリモートで礼拝出席されるていることも共なる一つの礼拝として私たちは考えているわけですから、そうでありながら、物理的なパンと杯の配餐を導入することは分断を持ち込むことになります。ですから、物理的な配餐の実施はもうしばらくは休止した方が良いと私は思います。ただし、次のステップとして、少し時間は長くなるかもしれませんが、第一主日の聖書と黙想の時に、市川八幡教会が採択している式文の交読をおこなうなど、これまで大切にしてきたことを大切にし直していくことが大事かな、と考えているところです。
執事会では新旧交代をまたいで、この新コロナ状況下での主の晩餐の課題を継続して話し合っています。牧師ひとりが決めることではなく、執事会が決めてしまえば良いということでもない。何を悩んでいるのか、何が課題になっているのかを、教会員みなさんと共有して、みんなで悩み、これからの選び取りをご一緒にしていきたいと願い、今日は、先月の執事会で合議して、礼拝宣教で主の晩餐についてのお話をさせていただいた次第です。
願わくば、何も悩まずに過ごしてきた時以上に、こうした悩み多い日々にこそ、教会の交わりの本質と大事な事を、私たちが共に学び取ることができますようにと祈ります。