マルコによる福音書7章24-30節
ところが女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます。」(マルコ7:28)
後先見ずに集まってきた1 万人もの人々と真剣に向かい合い、たった5 つのパンと2匹の魚で人々を満たした御業の後、イエスはガリラヤ湖西岸の町ゲネサレトに渡りました。ところが、その町でも、人々はイエスと知ると病人たちを伴って次々と集まってきました。間断なく次々と押しかけてきます。どの村でもどの町でも同様でした。かたやイエスの教えを容認できないユダヤ教指導者たちもイエス一行を執拗に付け回し、行く先々で攻撃を続けます。イエスと弟子たちは、さすがに疲れ果ててしまったようです。ガリラヤを離れ、隣国フェニキアのティルスという町に退避されたのでした。休養を取らねばなりませんし、今後のことをじっくりと見据えねばなりません。イエスは、今回の旅程については誰にも知られたくないと願っていました。
ところが、イエスの噂は異国フェニキアにも伝わっていて、案の定、人々に気づかれてしまいます。イエスのことを聞きつけた一人の女性が飛び込んできてひれ伏し、「原因のわからない病に苦しむ娘を癒して欲しい」と懇願するのでした。その際の、イエスと女性とのやりとりはとても痛快なもので、福音書中もっとも印象的な対話です。また後々(イエスの死後)形成されていったキリスト者共同体が、ユダヤ主義を超えて、異邦人たちとの交わりに開かれていく上でも、大切な規範となった「イエスの記憶」でした。
ただし、今日の教会では、もっぱら「イエスと異邦人女性との出会い」とか「ユダヤ人のみならす異邦人にも」という枠組みで解説されることの多い聖書箇所ですが、まずはこの女性そのもの、その境遇を想像してみようと思います。彼女は決して「異邦人代表」としてイエスに出会いに来たわけではないのですから。彼女は、少なくとも二つの苦しみを抱えながら必死に生きていた女性、懸命に解放を求めていた女性なのです。
マルコ福音書は「女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであった」と記します。すると彼女は、移住民の子孫であり、ギリシア人でありながら祖国を知らず、フェニキアに生まれながら「外国人」であり、さらに今やそのフェニキアもローマ支配のもとに収奪されています。彼女はまさしく法的地位や搾取構造の最底辺に置かれた民族的マイノリティであり、しかも重症の病を負う娘を抱えて生きている母親という「生活弱者」そのものです。その女性がイエスににじり寄り、機知に富んだやりとりの末にイエスに「まいりました」と言わせてしまうという、実に爽快な記録が本日の記事なのです。(吉髙叶)