エズラ記1 章1-6 節
天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。(エズラ1:2)
古代の歴史では、それまで辺境の小民族に属していた一人の人物の登場によって、一大帝国が築き上げられるという出来事はよく起こることです。オリエント世界では、古バビロンのハンムラビ王もそうですし、イスラエルのダビデ王もそう、新バビロニアのネブカドネツァルもそう、後のマケドニア帝国のアレクサンドロス(アレキサンダー大王)もそうです。キュロスもそうなのです。新バビロニアを滅ぼしたペルシャ帝国は、もともとメディアに支配されていたペルシャのアケメネス家の跡取りキュロスが、その軍事的な才覚・計略の妙技を生かしてわずか数年で築き上げた帝国です。新バビロニアを滅ぼす際も、敵国の内部の不満を掌握し結託することによって、ほぼ無血開城のような形で帝都バビロンの主になりました。バビロン捕囚の後期にバビロニアで預言活動をしていた匿名の預言者(第二イザヤ)は、キュロスのことを「わたしの牧者」と表現し、彼こそが神が遣わされた解放者だと期待を込めて予告しています(イザヤ書44:24-28)。
このキュロス王の統治手法は独特で、他民族への寛容政策を特徴としていました。アッシリアや新バビロニアが各民族に対して取った捕囚・同化政策を改め、バビロンに捕囚されていた人々を故郷に帰還させ、それぞれの信仰や文化をある程度保障していきました。いわば「広く敬愛される支配者」を目指したわけです。この支配方式はペルシャ帝国の後継者たちにも代々受け継がれます。この被支配民政策は確かに功を奏し、たとえばユダヤにあっては、ペルシャ帝国がアレクサンドロスに大王に滅ばされるまでの200年間は、ペルシャに対する反乱は起こっていません。解放前記のエズラ・ネヘミヤ時代(解放から100 年間)は、反乱どころかペルシャの支援をふんだんに受けながらエルサレム神殿や城壁の再建に取り組んでいます。キュロス王はそういうわけで、ユダヤの民にとっては、異邦人の王でありながら「神ヤハウェに選ばれて用いられた人物」と理解されていきましたし、従って「神ヤハウェは異邦人をもすべからく治められる世界の神」であり、その神が大きな世界史の中で「アブラハムの子孫」である自分たちに、様々な試練・訓練を与えながら特別に取り扱っておられるという「世界観」が培われていくことになります。『エズラ記』『ネヘミヤ記』は、キュロス王の「解放と帰還の勅令」(B.C.538)を受け、エルサレム再建に取り組む時代の記録です。ただ、なかなか一筋縄でいかないすったもんだの数々が記されていて、「再建」や「復興」の難しさをも教えてくれます。【吉髙叶】