2022年10月9日礼拝「礼拝する人への旅路」

エズラ記3 章1-5,10-13 節

主の神殿の基礎が据えられたので、民も皆、主を賛美し大きな叫び声をあげた。(エズラ3:11)

捕囚地バビロンからエルサレムへ向かって出立した第一次帰還民たち。バビロン捕囚という屈辱と挫折の日より60 年後のことでした。捕囚時代に親に抱かれてバビロンに連れてこられた子どもたちももはや老境にあり、帰還民たちのほとんどはバビロンで生まれ育った第二、第三世代の人々でしたから「帰還」というより「移住」と言うべきでしょう。民族史的には帰還ですが、一人の人の人生としては「移住」と呼ぶしかありません。懐かしい風景があるわけではなく、迎えてくれる人々がいるわけでもないのです。
移住先のエルサレムは、親や祖父母から聞かされてきた「美しの都」にはほど遠いものだったに違いありません。期待は霧散し失望に包まれたことでありましょう。集団で移住の旅をしてきた道中は意気揚々でしたが、到着後はそれぞれの家ごとに先祖が暮らしていた町に散っていきましたから、心細く、また不安であったことでしょう。
そのような移住(帰還)の民が、移住後初めて集結する日がやってきました。仮庵の祭りを行う第七の月がきたのです。民はエルサレムに集まって「一人の人」のようになったと記されています。その「一つ」の中には、多分に「共苦」や「悲しみの連帯」が含まれていたのではないでしょうか。「開拓」へ挑む意味や目的はいったい何なのか。そうした渇望もそこには渦巻いていたでしょう。そのような想いが一つとなり、一人の人のようになって最初の礼拝(祭儀)がおこなわれたのでした。
「仮庵の祭り」は、かつて出エジプトを果たしたイスラエルの民が、荒野で天幕生活を続けたことを想起する祭りです。いま、まさに「仮設住宅」に暮らし始めた出バビロンの民は、神の導きと養いを求めて懸命に祈りを捧げたのかもしれません。これが、移住の民の最初の礼拝であり、後々、「捕囚からの解放」を記念する祭りともなり、更には仮庵の祭りをもって「ユダヤの新年」が定められていくこととなります。
出エジプトを指導したモーセとアロンが、エジプト王に対面して要望を伝える場面を読むと、その交渉の言葉は次のようなものです。「ヘブライ人の神がわたしたちに出現されました。どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、私たちの神、主に犠牲をささげさせてください。」(出エジプト5:3) 出エジプトのテーマは単に「苦役の場からの脱出」にあるのではなく、「礼拝する民への出発」にあります。「~からの」だけでなく「~への」歩みなのです。「礼拝する人」への旅路、それは私たちのテーマでもあります。【吉髙叶】

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