2023年12月17日礼拝「それでも夢を見たい」

イザヤ書11 章1-10 節

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。(イザ11:1)

10 月から『イザヤ書』を読み始めました。読み始めたとたん、ハマスの打撃に端を発したイスラエルによるガザ攻撃が始まりました。無差別な空爆・破壊と非人道的な殺戮、聖書の舞台パレスチナがのたうち回っていました。目を覆いたくなる流血と耳を塞ぎたくなる叫び声の現実の中、わたしたちは「ぶどう畑の歌」を聞いたのです。
「主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに、見よ、流血(ミシュパハ)。正義(ツェダカ)を待っておられたのに、見よ、叫喚(ツェアカ)。」イザヤ5:7
主ご自身が耕し、石を除き、良い苗を植え、期待を込めて世話をした「ぶどう畑」に実ったものは、あまりにも酸っぱくて使えない代物だったのです。「おまえたちはどうしてこうなってしまったのか」。神の怒りと嘆きと悲しみが、いま、ガザの瓦礫の中からエルサレムに向かって響いているようでした。
11 月は第二イザヤの4 つの「主の僕の歌」を読みました。挫折と悩みの淵にあるユダの人々を再生するために、希望を授け、信仰へと呼びかけるために現れた「主の僕」が、次第にぼろぼろにされていく姿を辿りました。しまいには人々から侮られ、捨てられ、処刑され「苦難の僕」として死んでいく姿でした。神の想い・神の愛に対する人間の仕打ちのおぞましさを見せつけられながら、いま崩されているガザと殺されていく人々を想いました。顧みられず踏みつけられていった神の想いを感じました。
12 月、再び第一イザヤの、インマヌエルと呼ばれる「みどりご」誕生の預言を読みながら、いま、ガザで殺されている子どもたちのいのちを見つめました。爆撃の中を逃げ惑い、屋根の無い崩れた壁の中で誕生しているガザの赤ん坊たちの中に、家畜の穴の餌箱に寝かされたイエスを見つめました。「インマヌエル」を深く聞きました。
本日はイザヤ書11 章。全ての木が切り倒されてしまった不毛の地の中に宿った夢のはなしです。一つの切り株から小さな芽が萌え出る夢。その若枝に、それまでの力とはまるで異なる霊性を放つ人によって、人間とこの自然界が再創造されていく夢。狼が小羊と、豹が山羊の子と、獅子と子牛とが一緒に草を食べ、寝そべっている夢。ばかけていますか? 現実離れしていると笑いますか? でも現実がこんなにひどく、現実こそが「生きられない世界」なのです。わたしたちは「共に生きられる世界」を夢見ます。ビジョンを抱きます。わたしたちは「それでも、天を見上げ、夢を見たい」のです。吉髙叶

関連記事

PAGE TOP