2022年2月27日礼拝「神に望みをかけ、より頼む」

詩編 130 編 3 節~ 8 節

わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。(詩 130:5)

いつも、私たちを覚え、お祈りとお支えを心から感謝いたします。本日の「合同礼拝」をご一緒に献げ、主を喜ぶ時を共に過ごせますことにも、感謝で一杯です。
昨年 12 月に、旧旭町教会の敷地を、福島市内のビルメンテナンスの会社に売却することができました。売却のために不動産業者を選定したあとに新型コロナウイルスの感染拡大が起き、ほとんど土地の動きがなくなりました。いくつか問い合わせがあり、見学もありましたがそれ以上の話に進展しませんでした。しかし今回の売却は、9 月ごろに話があり、10 月に買付証明、12 月の売却と、とんとん拍子に進みました。そして 12 月 13日に新しい教会用地を取得することができました。売却と購入に、2 年ほどの時間が必要でした。この間私たちは、祈りながら待つことを学び、主がいつも共におられることを確信しました。これまでも、そしてこれからも主が共にいてくださることを覚えます。
今日取り上げた詩編 130 編の著者は、繰り返し「主に望みを置く」と歌います。それは何度も頼りにならないものに頼って失敗した苦い経験があったのでしょう。罪とは、第一に神以外のものに頼ることです。その失敗の中で、「主を待ち望め、慈しみは主のもとに」と知らされるのです。主なる神の豊かな贖いを、その身をもって知った者は、未来に向かって主なる神の言葉に頼るのです。そうした体験が、み言葉への信頼を深めさせるのです。
さらに詩編 33 編 16 節~ 22 節を見ますと、神に耳を開き、その言葉を聞くことが示されます。そしてそれは希望に根拠を与えます。その希望は、人が造りだした希望ではなく、み言葉の与える希望です。神は、「我らの助け、われらの盾」なので、主なる神を待ち望むのです。詩編 147 編 10 節~ 12 節。人の力が、新しい世界を造るのではありません。神が造られるのです。この神からの言葉に生きる者は、その言葉に後押しされ、小さな歩みしかできないと知りつつ、新しい世界の現場、それぞれの生きる場所に立つのです。神から出る希望が、一人一人の歩むべき道を示し、生きる勇気を与えます。
これからも、私たちの教会が、主に導かれ、整えられ、福島の地で感謝と喜びに満ちて福音を宣べ伝え、また恵みを分ち合う群れとなりますようお祈りとお支えをよろしくお願いいたします。市川八幡キリスト教会の皆さまとの交わりを感謝し、心から主の祝福をお祈りいたします。 【大島博幸(福島主のあしあと教会牧師)】

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