ヨハネによる福音書15 章1-10 節
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネ15:5)
ぶどうの栽培は、ユダヤの農業の主要なもののひとつでした。元来、土地がごつごつしているパレスチナ地方はぶどうの栽培にはとても適しているのだそうです。ぶどうは、日当たりのよい山腹(さんぷく)、その斜面によく実ります。その山腹を段々状にし、表土を保つために丘の地形に応じてまわりに石を積み上げ、幾重にも支えて壁を造っていたようです。この石垣は高さが60 センチから1 メートル以上もあり、この石垣を維持していくのに多くの労苦と時間がかかったということです。
パレスチナのぶどう園では、ぶどうの枝は地面を這(は)っていて、私たちが直(ただ)ちに思い浮かべるような柵(さく)や棚(たな)に支えられているようなものではなかったようです。たいていは這うままになっていて、それらは地面や石垣を覆い、また山葡萄や樫(かし)の木などそこいらの木に這い登って、くるくると梢(こずえ)の先まで巻きついたりして実をつけたようです。
ぶどうの枝は、そのようにたくましく伸びていきます。ですから、ぶどうの幹からは離れてずっと先まで伸びて他の木に巻き付いている枝などは、あたかもその木の枝のようにさえ思えるのです。まさにたくましいかぎりです。けれども、たとえそうであったとしても、何かの拍子に幹から断ち切れてしまった枝は、しばらくは枝振りが良くてもやがて枯れてしまい、無惨(むざん)な姿を地面や石垣の上に横たえることになります。そのような枝を、農夫たちは取り除き農園の外にある焼き場で焼くのです。
ぶどう園と手入れの様子、誰もが目にしていたこの風景をたとえにして、イエスは神とご自身と弟子たちの「繋(つな)がり」を語られました。イエスは「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝だ」とおっしゃいます。ローマ支配につながれば繁栄(はんえい)や安寧(あんねい)を手にすることができる時代の中で、決してそれらに惑(まど)わされることなく、人生に真の実りをもたらす「いのちの繋がり」から離れないようにと伝えたのです。時は迫っていました。イエスがこれを語っているのは逮捕の直前のこと、最後(わかれ)の食卓でのことです。まずご自身が弟子たちの足下に跪(ひざまず)いて一人ひとりの足を洗い、「愛の意味と位置」を示しながら、互いに罪や弱さを受け入れ合うこと、仕え合うこと、何より互いに愛し合うことを言い遺すのです。「間もなくわたしはあなたたちの前から見えなくなる。しかし、繋がりは断たれることなく生きていく。わたしの愛にとどまりなさい」と言い遺されたのです。吉髙叶