ダニエル書12 章1-10 節
その時まで、苦難が続く。しかし、その時には救われるであろう。(ダニエル12:1)
『ダニエル書』の終盤では、再びダニエルが観た幻を通してユダヤの未来が示されていきます。ユダヤを襲い、支配し、蹂躙する国々が次々と登場してくること。それらの国々の暴虐と迫害のすさまじさ、ユダヤ人が負わされていく苦難・苦悩の深さが11 章に展開されます。しかし最終章は、それらの艱難・苦難から解放される日(終わりの日)が約束されるのです。その日、イスラエルの守護天使ミカエルが登場し、イスラエルを守護し解き放つのだと。その時、それまで続いて来た苦難の道のりにあって命を落としたユダヤの民は「地の塵の中の眠りから目覚め」、神への信頼を捨てなかった人々は永遠の生命に入り、信仰を捨て時代状況に迎合した人々は永久に続く恥と憎悪の的になるのだということ。とりわけ、この暴虐の支配の中、その悪しき力に立ち向かった人々(目覚めていた人々)は「とこしえに星と輝く」のだとダニエルは告げられるのです。
「苦難に直面する現在」「目の前に迫る迫害」「目覚めていること」「苦難の死からのよみがえり」「終わりの日の解放と祝福」。こうしたキーワードは、イエスご自身が十字架の死を目前に、弟子たちに語られた予告の言葉に引き継がれ、さらにはローマ帝国迫害下を生きる初期キリスト者たちの信仰となっていきました。
マタイ福音書に有名な「タラントンのたとえ」(マタイ25:14)があります。よく、神から預かった「賜物」を生かして用いる意味で解釈され、「教会の財政の用い方」とか「賜物を生かした献身」の文脈で読まれます。しかし、この譬えは 「迫害状況」を前提として読むべきたとえです。つまり主人から託された「タラントン」とは、受け取ってしまうにはあまりにも辛い(土に埋めておきたくなるほどに)使命のことです。「迫害の中にあっても神を信じ、イエスを主と告白し、愛を持って生きていきなさい」という使命のことです。1 タラントン、2タラントン、5 タラントンという預かった金額の違いは、過酷な迫害状況の異相やそれらに立ち向かう苦闘の度合いを表しています。あるいは金額が増すように迫害状況が激しさ増していくことを示唆しています。けれども、その過酷で苛烈な経験を通り抜けて、多くの仲間との出会いや絆、共感・共苦を通して味わう喜びも膨れていくのであり、そして、必ずこの世界は「主人の帰宅の日」(終わりの日)を迎えるのだと語られています。
ダニエルの幻からイエスにつながれ、初代教会の信仰となり拠り所となっていった「終わりの日に支えられた生き方」。これは今日を生きるキリスト者、時代を生きる教会への招きでもあり、また励ましでもあるのです。【吉髙叶】