2023年12月24日クリスマス礼拝「それでも天を見上げて」

マタイによる福音書2 章1-3,7-15 節

東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。(マタ2:9)

【クリスマス礼拝メッセージ】

【クリスマスイブ礼拝メッセージ】

『マタイによる福音書』には、キリストの誕生に気づき、はるばる東方より拝(おが)みに来た占星術の学者(天文学者)たちのことが報告されています。ユダヤの人々にとって「東方」とは単に方角を表しているのではなく、裏とか陰とか罪の場、すなわち闇の世界という意味合いを持っていました。つまり、そのような暗闇の中で、「それでも天を見上げ、切実に光りを求めていた人々」が、そこから歩み出し長旅の果てに幼子イエスに辿(たど)り着いたという「構図」をクリスマスの出来事として描いています。
ただ、この学者たちも危うく道を逸(そ)れてしまいそうになりました。ユダヤの地に導かれた学者たちは、迷わずエルサレムの宮殿を訪ねてしまいます。そして訊(き)いたのです。「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。」この訪問者の言葉を聞いて宮殿の主(ぬし)・ヘロデ王は仰天しました。王は驚きとともに強い不安と恐怖心を抱きます。自分以外の「王」は決してゆるせないからです。この世の権力や栄華を身に纏(まと)った人々の中には、そうした臆病な自尊心が宿りやすく、不安と恐れが強くなる時に反転して暴力的な思いや行動を生じさせてしまうのだということを如実に示しています。
「しるしの星」が導こうとした場所はそもそも「都・エルサレム」ではなかったのです。エルサレムを通り過ぎていったのです。この事実を、今年こそは大切に心に刻みたいと思います。エルサレムを「聖地」だと絶対化し、聖地の権威とその占有を欲望して邪魔者たちを容赦なく殺害していく・・・。ヘロデ王がしがみついているエルサレムを、救い主の誕生を知らせる星は、われ知らずとばかりに通り過ぎていくのだということを。
わたしたちの世界は、今、ヘロデ王的な戦争・暴力に揺さぶられ、悩んでいます。さらにヘロデ王の背後では大帝国(ローマ)が平然と各地の暴力を操るように居座っています。すべての民がこれら「暗い力の空」のもとでただただ四苦八苦させられているかのようです。しかし、救いの生まれる場所を知らせる星は、そうした欲望と恐怖と暴力の都エルサレムの空を素通りしていくのです。そうです、わたしたちには「そこではない空」があります。「見上げると慰められ、励まされ、希望が湧(わ)いてくる天」があるのです。その空に星を、その天にしるしを見いだし、前を向いて進んで行くこと。それが救い主に見(まみ)える道なのです。暗い空のもとに生きながら、それでも見上げる天には晴れ間が見える。だから、「それでも天を見上げて」わたしたちは歩むのです。メリークリスマス!(吉髙叶)

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