イザヤ書61 章1-3 節
貧しい人に良い知らせを伝え・・・打ち砕かれた心を包み、捕らわれた人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。(イザ6:1)
わたしたちは10 月より『イザヤ書』を読み始めましたが、そのとたんにイスラエルのガザ爆撃が始まり、あまりにもひどい殺戮と破壊、人道・人倫の消失という暗黒の現実に直面してきました。重く苦しく悲しいアドベントだったと言えます。ただ、7 月末に決定していた今年のクリスマステーマは「それでも、天を見上げて」で、図らずも、そのテーマがわたしたちを大切な思考やまなざしへと導いてくれたように感じます。国家の破滅の後に生じる「平和の幻」を語り続ける預言者イザヤの言葉と、自らが掲げたクリスマステーマが共鳴振動して、わたしたちは「それでも夢を」「それでも平和を」との祈りに導かれ、あきらめずに天を見上げ続けることへと励まされてきたのです。ガザの悲劇と痛みから目を背けず、人間の愚かさと歴史の抱える矛盾を直視しながら、「キリストの誕生」と「希望の萌芽」を祈り求める経験へと導かれたのでした。
当教会の2023 年度主題は「萌芽-悲しみの中に芽生える希望を探して-」です。コロナ閉塞状況、ミャンマー情勢・ウクライナ戦争という危機によって悲しみ続けてきましたから、「それでも芽生えようとしている希望を探して歩こう」と前を向こうとしたのです。しかし悲しみの状況は益々深みを増していきました。この国に保護を求める難民申請中の人々を強制送還することのできる「改悪入管法」の成立、沖縄・南西諸島の急速な基地化、そしてガザのジェノサイド(集団殺戮)。クリスマス直前に福岡高裁が出した「辺野古『代執行』訴訟」判決は、沖縄の人々をまたもや切り捨て、この国の民主主義の根幹を脅かす不当な判決でした。今年、闇は更に重なりました。いったいどこに希望の萌芽を探せば良いのでしょうか。どこに行けば見つかるのでしょうか。
イザヤ預言の本質に立ち帰り、イザヤ預言の幻に目を向けたいのです。その預言は国家の破滅の後に生じる「平和の幻」であるという本質に。「苦難の僕」は、破滅を引き起こす人間の「罪からの助け出し」のための命だったという総括に。預言者が照らし出す未来は「灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせ」(イザ61:3)ようとする神の御心に守られているということを。探しても探しても希望の芽が見当たらない。この現実の中に、人間の業の中に。けれども、「聖書の約束」と「その成就」としての「イエスのいのち」の中に、それを探してみよ、そこに立って生きてみよ、と、「それでも天は」わたしたちに呼びかけてくれているのです。吉髙 叶