ルカによる福音書19 章41-48 節
イエスはその都のために泣いて言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それがお前には見えない。」(ルカ19:41-42)
● 2.11「信教の自由を守る日」を大切に! ●
17 世紀初頭のロンドンでのこと。「英国国教会」、この国家と教会が一体化して、人を生まれながらにして支配する体制に反対し、「幼児洗礼」を批判し、自覚的な信仰に基づき、全身を水に浸める「浸礼(バプテスマ)」をやり直して「バプテスト派」は誕生しました。そのような歴史にルーツを持つ私たちバプテスト教会にとって、「政教分離」と「信教の自由」は大切な原理・原則の一つです。政教分離の原則とは、単に政治と宗教が相互に関係を持たないということではなく、政治が宗教を利用して、人の内面(思想や信条)の自由を支配しようとすることへの歯止めの原則で、近代民主主義の基本原理でもあります。
聖書には神の意思と対立するものとして「マモン」という概念があって、それは、飽くなき欲望に満ちたこの世の富や権力のこと、そして、それらがもたらす暴力性のことです。「信教の自由を守るたたかい」とは、まさしくマモンによる信仰や思想の浸食とのたたかいであり、ひいては人間の自由と尊厳を守るたたかいのことなのです。
マモンはこの世にはびこります。富の独占・寡占、他国・他領域への侵略、武力支配、そして戦争。マモンが幅を利かせる時代は、思想や言論は封殺されていきます。特に日本の歴史文脈においては、国家が天皇制を敷いて「現人神」との告白を強要することによって国民を統合し、「神国日本こそが大東亜共栄圏の盟主なり」と豪語してアジア諸国への侵略戦争を引き起こした経験があります。政教一体、信教支配がもたらした「マモンの暗黒」の歴史です。それゆえ日本にあって「政教分離」や「信教の自由」を考えようとする時には、かつてのアジア太平洋戦争への反省を抜きにはできないのです。
まもなく2 月11 日、「旧紀元節(きげんせつ)」。戦後も、戦前・戦中の国家観を引きずった政治勢力は、この「紀元節」を日本の「建国記念日」と制定することにやっきになってきました。この国に宗教的特別性を持たせて愛国心の高揚を企図(きと)する。こうした政治による宗教利用、「マモンの歴史観」は今日にいたるまで脈々と蠢(うごめ)いています。わたしたちキリスト者は、そしてとりわけバプテスト教会は、この歴史観や考え方に反対し、2 月11 日を「建国記念の日」とは呼ばず、「信教の自由を守る日」と呼んで、あらためて侵略戦争を可能ならしめた構造や風潮や精神性を省みながら、平和を祈る日としているのです。そしてこれが日本に生きる教会の「平和への道のわきまえ」だと信じています。(吉髙叶)