ルカによる福音書19 章28-40 節
持ち主たちが「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。(ルカ19:33-34)
レオパルト、チャレンジャー、ルクレール、エイブラムス。何の名前かわかりますか。そう、最近TV ニュースで頻繁(ひんぱん)に耳にするようになった戦車の名前です。独・英・仏・米の最新型戦車の名前。ウクライナの戦況を好転させるために各国から供与されたり、配備が検討されている力強い戦車たち。かっこいい名前ですね。これで一気に戦争に片が付きますね。平和は戦車に乗ってやってくるのです。そういえば、沖縄の与那国島にも16 式機動戦車が70 台上陸しましたよ。頼もしいですね。これで沖縄は安心、本土も安心。平和は戦車と共にやってくるのです。あなたもそう思うでしょ?
思いません。そんなこと信じません。わたしは、戦車に乗って向かってくる人が、わたしの生きる悩みを理解し、悲しみに共感してくれると思えません。戦車に乗ってくる人たちが、わたしの人生に寄り添って歩んでくれると思えないです。戦車は踏み潰し、戦車は吹き飛ばし、人々の住処(すみか)を瓦礫に変えて去って行きます。「この町を守るために」といってやってきて、結局この街を破壊して去って行きます。戦車たち、来ないでください。戦車たち、行かないでください。あなたたちには、命は守れないから。あなたたちには、やわらかい人間の身体と心を包むことができないのだから。
わたしたちは、子ろばに乗って近づいてくるイエスに、安堵します。その柔和なたたずまいと歩みにホッとし、こわばった身体から力が溶けていき、わたしの方からも近づいていきたくなります。「この悲しみに触れてください」と手を伸ばしたくなります。するとイエスは、わたしの前で子ろばから降り、わたしを見つめ、「だいじょうぶだよ」と告げてくれるでしょう。
イエスは子ろばを選ばれました。それが自分にふさわしいからです。それが自分の道、自分の果たそうとしている働きにふさわしいからです。そしてその姿が、やがて本当の意味で自分の道に従ってくる人々にふさわしいからです。十字架から始まる、愛といたわりの交わり、赦しと助け合いつながりと広がりに、それがふさわしいからです。高いところから、勇ましいところから、速さと強さとで「おまえを助けてやろう」じゃなく、「あなたに届きたい。あなたに仕えよう、できればあなたと一緒に働きたい。」イエスはろばの子に乗って、低く優しくわたしたちに近づいてきます。わたしたちも子ろばに乗って歩んで行くような様子で、誰かに向き合っていきたくなります。吉髙叶