2024年10月6日礼拝「若き王、若き預言者」

エレミヤ書1 章1-13 節

「若者にすぎないと言ってはならない。・・・彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と主は言われた。(エレミヤ1:7-8)

10 月-11 月の2 ヶ月間、は旧約聖書「エレミヤ書」を読んでいきます。エレミヤは、イスラエル史の中でもかなり重要な位置にある預言者です。イスラエルの南王国ユダが、
バビロニアに滅ぼされてしまう「末期」の40 年間(BC.626-586)に、預言活動(神の言葉を預かって時代に警告の言葉を発する)をおこないました。当然、彼の言葉はユダの指導
者たちに向かって鋭く尖った(とがった)ものとなり、厳しい断罪を含んでいかざるを得ませんでした。そんな彼を迎えたのは無視、嘲笑(ちょうしょう)、排撃、迫害でした。「預言」は、馬耳東風(ばじとうふう)のごとくにかわされ、地面に落ちて踏まれ、かき消されていくのです。しかし、やがてユダ国は滅び、エルサレムは陥落(かんらく)し、主要な人々はバビロンに捕囚され、また散らされていきます。歴史に残ったのは「預言」でした。国は滅びましたが、預言は生きたのです。このエレミヤの預言は、後々のあらゆる時代に突き刺さる内容を持っています。もちろん、今日この時代、日本という社会の破廉恥(はれんち)さを映す鏡でもあり、刺さってくる剣です。

エレミヤが生まれたのは、マナセが50 年以上に亘ってユダ国の王として君臨し、悪政・暴政の限りを尽くした時代です。アッシリアの神々との混淆(こんこう)をはびこらせ、神殿にはアシラ像を祭り、町々村々に異教の祭壇を建て、占いやまじない、口寄せ(くちよせ)や霊媒(れいばい)によって人々の心を惑(まど)わし、民心を操(あやつ)っていきました(列王記下21 章参照)。それは政治的に言うなら、ユダ国がアッシリアの属国(ぞつこく)となり傀儡(かいらい)国家であったことを意味しています。

エレミヤが物心つく頃、同じく8 歳の若さにして王となったヨシヤ。このヨシヤ王が21歳の時にエレミヤは神の召命(しょうめい)を受けます。この時エレミヤは20 歳前後でした。やがてヨシヤ王は26 歳の時に一大改革に踏み出し、神の律法(申命記)に回帰(かいき)する宗教改革運動を断行します。あらゆる異教祭所・異教崇拝を排除し、政治的にはアッシリアからの独立に挑む(いどむ)のです。はびこった悪習、悪癖(あくへき)と闘う若き王です(列王記下22 章参照)。他方、エレミヤはそれに先んじること5 年、預言者として、すでに異教と不義との闘いを開始していました。ひとりは寒村(かんそん)の祭司の息子として、ひとりは幼(わか)き王として、幼少期から青年期を生きてきた二人でした。エレミヤは20 歳で預言者となり、ヨシヤは26 歳で改革の鉈(なた)を振るいます。欲望と暴力が常態化(じょうたいか)し、政治と倫理が頽廃(たいはい)する時代に、若き王、若き預言者が、それぞれ、そのくるぶしを強くして立ち上がって行ったのです。吉髙叶

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