2024年12月8日礼拝「インマヌエル・共なるあしあと」

マタイによる福音書1 書22-25 節

見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。(マタ1:23)

許婚のマリアが懐妊しているという事実に苦しみ悩み、縁を切ろうと思い至っていたヨセフの夢の中に天使が現れ、「切らずに迎えよ」「離れず共に歩め」と促します。「生まれてくる子どもは、神が預言者イザヤを通して言われたことの成就であり、預言の言葉にあるように『インマヌエルと呼ばれる』」と告げるのです。ヨセフは夢から目覚めると、この御告げを心に留め、マリアを妻として迎えます。マタイが描く「キリスト受胎告知」の描写の核心には、神がイスラエルを励ましつづけた「インマヌエル」すなわち「神は、いつもあなたがたと共にいる」というメッセージがあります。
昨日、福島主のあしあと教会の献堂式が執り行われ、祝福を携えて出席してまいりました。10 年前の今頃、「主のあしあと教会」のメンバーたちは、福島旭町教会(当時)の牧師・副牧師の暴力的支配のもとで、自由を奪われ、言論を奪われ、服従を強いられて過ごしていました。そうした中、一縷の望みを抱いて連盟理事会に「被害届け」を送り、牧師たちからの報復を恐れて「旭町」から脱出し、一人のメンバーの家に集まり、礼拝と祈祷会を続けていきました。互いの癒やしを求め、励まし合い、与えられた信仰と希望を捨てずに祈り続ける群れでありました。やがてこの群れの慰めと歩みを自らの祈りにしようとする大島博幸さんが申し出をくださり、「主のあしあと」の群れは感謝と勇気をもって大島博幸さんを牧師として招聘されました。大島牧師は、この群れが背負った傷の癒やしの出来事を大切にし、この群れが互いに励ましあうために続けてきたスタイルを最大限尊重しながら牧会に携わられました。と同時に、新しい伝道地や建物を得て、伝道・宣教の働きへと踏み出す次のステージのための検討を進めました。旭町敷地の売却、候補地の選定、そして建築。一つ一つが難問でしたが、辛抱強く、最善を求めて歩まれました。建築についてもコロナの影響と資材高騰によって、何度も設計変更と予算の見直しを迫られながら、ついに献堂が成ったのです。この10 年の「主のあしあと教会」の歩みの跡を思いながら、その名の通り、そこに共に歩んでくださっていた「主のあしあと」を見る思いです。主の足跡は、旭町から仲間町(メンバーの自宅)に移り、やがて笹木野(間借りした他の教会)に足を延ばし、南矢野目の新会堂地に至る道のりにいつも共にあったのです。「主のあしあと教会」、それはまさしく「インマヌエル・神われらと共にいます」を信じ、告白する群れ。これからも神と共に足跡を刻まれますように。吉髙叶

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