2024年3月31日イースター礼拝「悲しみの中からふり向くと」

ヨハネによる福音書20 章11-16 節

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて「ラボニ」(先生)と言った。(ヨハネ20:16)

イースターおめでとうございます。今朝は、復活のイエスと最初に出会ったマグダラのマリアと共に「イースターの朝」を迎えてまいりましょう。
マグダラのマリアは、ガリラヤでイエスに出会いました。幾重にも彼女を苦しめてきた病い(身体と精神とにまたがって本人をさいなむ病い)を癒やされた女性です。それ以来、彼女はイエスに従い、その言葉を業とを深く心に留め、身に蓄えてきた人です。
彼女のイエスへの尊敬と愛情はとても強く、また深く、イエスが逮捕され男性弟子たちが逃げ去ってしまった後もイエスのあとを追い、十字架のそばでイエスの刑死を見とどけています(ヨハネ19:25)。イエスが、極めて厳しい「政治犯への刑」である十字架に掛けられているにもかかわらず、その近親者であることを明かしてしまうことになることも恐れず、その場までついて行ったのです。自分がどうなるかより、イエスと離れることの方が恐ろしかったのです。そんな彼女が見上げているイエスは、あまりにも傷ついた瀕死のいのちでした。そしてまもなく、彼女のまなざしの中、その人は死にました。
イエスが息を引き取られたあと、アリマタヤのヨセフという人が墓を提供してくれました。ふつう十字架刑で死んだ囚人は墓には葬られず、死体の穴に投げ込まれ、野の獣や鳥に食わせるのですが、ヨセフの機転と好意とで墓に入れられることになりました。以前からイエスに心寄せていたユダヤ議員のニコデモが、没薬と沈香とを持ってきてくれました。しかし、夕暮れ(安息日)がすっかり迫っており、通常なら遺体を水で洗い、香油と防腐薬の没薬を塗り、丁寧に亜麻布にくるんで墓に納めるのですが、十分な処置をする時間はなく、遺体の脇に香料を添え、亜麻布にくるんで墓石を閉じたのでした。三人のマリアは墓にもついて行き、その一部始終を見つめました。マリアの前に横たわるイエスは、ほんとうに死んでしまい、力が抜けてしまった傷ついた肉体でした。そして墓石は閉じられました。死は悲しみの極地です。墓石は生きた者と死んだ者との冷酷な遮断です。彼女のイエスへの愛、歓びの道、そして希望に蓋が置かれたのです。
翌々日の朝、墓に駆けつけた彼女のまなざしの先にイエスはいませんでした。絶望に呑み込まれ泣き崩れるマリア。しかし、悲しみの中からふり向くと、「マリアよ」と呼びかけるイエスが立っておられました。いのちから、愛の交わりから、歓びの道から、そして希望から名を呼ばれている自分が、ここにいたのです。吉髙叶

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