2024年8月11日平和祈念礼拝「平和のためらい」

創世記32 章23-31 節

ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」(創32:27)

原爆を作る人々よ! / しばし手を休め目を閉じ給え/ 昭和二十年八月九日! あなたがたが作った原爆で/ 幾万の尊い生命が奪われ/ 家財産が一瞬にして無に帰し/平和な家庭が破壊しつくされたのだ/ 残された者は無から起ち上がらねばならぬ/血みどろな生活への苦しい道と/ 明日をも知れぬ“原子病”の不安と/ そして肉親を失った無限の悲しみが/ いついつまでも尾をひいて行く/原爆を作る人々よ! / 今こそためらうことなく/ 手の中にある一切を放棄するのだ/ そこに初めて真の平和が生まれ/ 人間は人間として蘇ることが出来るのだ「原爆を作る人々に」原爆の詩人・福田須磨子
2024 年の「長崎平和宣言」は、この福田須磨子さんの詩を全世界に届ける想いでつくられました。23 歳で被爆し、肉親を奪われ、原爆症の病苦と貧困にあえぎながら創作を続け52 歳で没した原爆の詩人・福田さんの目には、核弾頭の保有数を競う「米・ソ」の空疎な姿が映っていたのかもしれません。唯一の「戦争被爆国」日本に生きるわたしたちもまた、一部の核保有国を「原爆を作る人々」と言い表してきたようにも思います。
しかし今や、「原爆を作る人々」とは、日本社会を形成するわたしたち自身のことであると言わねばなりません。「核抑止力」という戦略の「意義」にしがみつき、「核兵器禁止条約」の締約に「異議」を唱える日本(政府)の姿は、すでに「原爆を作る人々」そのものです。日本社会は、まぎれもなく、とっくに「原爆を作る人々」の一員です。
「今こそ、ためらうことなく/ 手の中にある一切を放棄するのだ」(詩・文中)。
ためらいの中にある「怖れ」。その「怖れ」ゆえに放棄できない核兵器保有や兵器開発。しかし、人間が人間であるゆえに「ためらわねばならないもの」こそが「人を殺すこと」であり、そのための武器を手にすることなのではないでしょうか。
長崎平和宣言は、次の言葉で締めくくられていきました。
「平和をつくる人々よ! 一人一人は微力であっても、無力ではありません。私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。国境や宗教、人種、性別、世代などの違いを超えて知恵を出し合い、つながり合えば、私たちは思い描く未来を実現することができる。長崎は、そう強く信じています。」
主イエスの言葉、「平和を実現する人々は、幸いである」が重なって響きます。吉髙叶

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