2025年2月16日礼拝「真珠のようなあなた」

マタイによる福音書13 章44-50 節

商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ13:46)

マタイ福音書13 章はいくつかの「たとえ話」で構成されています。それらたとえ話をそれぞれ切り取って教訓(きょうくん)的に読むこともできますが、文脈をよく見つめて流れ全体を理解すると、違ったメッセージが浮かび上がってきます。
イエスは、12 章の後半より「木とその実」の関係を語り、続いて、人々が目に見える徴(しるし)ばかりを求めていることを嘆(なげ)きます。また、自分自身の母や兄弟を前にして、「大切なことは血縁的なつながりではなく、神の心につながり結ばれていく間柄なのだ」と語ります。そして(13 章から)「たとえ話」を語り始められます。まずは、種まきが一生懸命に蒔いた種も、落ちる場所によって実ったり実らなかったり、根を張れずに枯れてしまう話です。続く「毒麦」のたとえは、ある人(イエス)が良い(麦の)種を蒔いたにもかかわらず、それに混じるようにして毒麦も穂をつけてしまい、良い麦だけを取り分けることが困難な状況にあることを示します。また「からし種」と「パン種」の話は、真実は小さくシンプルであるにもかかわらず、虚栄(きょえい)や虚偽(きょぎ)によって、人の目に見栄え良く膨らんでしまっている様子を示しています。つまり、こうした一連の流れを通して、神の言葉やイエスの福音は、聞かれているようで曲げられていたり、理解されているようで誤解されていたり、姿が良くても中味が無かったりするものだ、ということを言おうとしています。ただし、「収穫の時・終わりの日」には神の前に真贋(しんがん)ははっきりとし、選(え)り分けられるのだ、その神の手がすべてを支配しておられるのだ、と(13:30, 47-50)。
それゆえ、13 章44-46 節の二つのたとえ話の真意は、「『宝を見つけた人』や『素晴らしい真珠と出会った人』が、自分のすべてを投げ捨ててもそれを手にしようとするように、神は『あなた』を探し求めているのだ。命がけであなたに向き合おうとしている『わたし』(イエス)が、その神の想いそのものなのだ」というイエスの心を表していて、「神の国」は、そのように、いま、あなたに迫っているということを伝えたいのです。
「実りへと至る良い土になりましょう」とか「一生懸命に神の国を求めましょう」という従来のたとえ話の読み方ですと、「わたしの姿勢」の話になります。しかし、そもそもこれらのたとえ話は、わたしたちのために種を蒔き続け、また焦らず待ち続け、すべてを投げ出してでもわたしを探し求めておられる主イエスのことを示しているのです。吉髙叶

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