2025年1月12日礼拝「湖畔の邂逅(かいこう)」

マタイ福音書4 章12-22 節

イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。(マタイ4:19)

人生の途上において重要な機縁(きえん)となる出会い、めぐり会いのことを「邂逅(かいこう)」と言います。堅い表現ですから、通常あまり用いられることはありませんが、感動を伴い、かなり決定的な出会いを表す際には、あえて用いられる用語と言えましょう。
さて、本日のマタイ福音書4 章12-22 節には、イエスの宣教活動の開始と、そのイエスに従った最初の弟子たちとの出会いの様子が記されています。当時のユダヤ教宗教体制の欺瞞(ぎまん)を鋭く批判し、荒れ野で新生(しんせい:生き直し)のバプテスマを授けていたヨハネのもとに、イエスはしばらく留まっていたようですが、ヨハネが逮捕されたことを転機として、イエスは独自の宣教の道を踏み始めます。その初っ端(しょっぱな)にイエスが語った言葉、「悔い改めよ。天の国(バシレイア)は近づいた」は、まさしくイエス宣教の真髄(しんずい)を言い抜いた言葉です。「悔い改め(メタノイア)」とは「方向を転換すること」を意味します。「バシレイア」は、「神の支配」を意味しています。「近づいた」は「そのただ中にあなたを巻
き込んでいる」というニュアンスです。繋げて理解すると、「さあ、あなたの生き方の方向を転換しなさい。なぜなら、あなたはもう神の支配のただ中に巻き込まれているのだ」ということです。イエスの宣教の中核は、この「宣言」と「呼びかけ」にありました。
この宣言と呼びかけを、ガリラヤ地方で、そう「異邦人の地」とユダヤ社会から侮辱され、ローマの武力によって多くの血を流してきた「怨讐(おんしゅう)と悲しみの地・ガリラヤ」でこそ、イエスは語り始められたのです。
この呼びかけを最初に身に受けたのは、ガリラヤ湖で漁を営むシモンとアンデレ、続いてヤコブとヨハネとにでした。投網(とあみ)を投げている二人を見つめ、また網を繕(つくろ)っている二人に近づき、イエスは自分に従うよう呼びかけたのです。これらの人々は、生業(なりわい)と家族とを横に置いてイエスの後ろに従ったこと、つまり、人生の方向転換を経験したことが印象深く記されています。まさしく「邂逅」と呼ぶべき出会いが彼らに起こったのでした。邂逅、そのような出会いが素晴らしいのは、そこで自分が新しく方向付けられるからでしょう。自分の歩んでいる道にとって有益な出会いというようなものではなく、その出会いによって自分の道が変えられていくような出会い。そこで見い出されているのは、新しい自分。湖畔の邂逅は、創造と挑戦に溢れていたのでした。吉髙叶

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