2026年2月15日礼拝「パンは向こう岸に」

マルコによる福音書8 章11-21 節

ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい。(マル8:15)

『マルコによる福音書』に通底しているテーマは、救い主は栄光の中にではなく十字架の道において見いだされるということです。と同時に、それゆえ、あらゆる人々は、イエスを誤解し、イエスに躓き、イエスを捨て去ったという流れを描いています。人間が神や救い主に求めているものは、神の国の訪れではなく、この世での自分自身の安寧・富み・誉れなのだ、と。そうした人間の欲望を象徴的に表しているのが、サタンが荒野でイエスを試みた際にそそのかした「石をパンに変える力」(マタイ4:1 ~)なのです。
ある日のこと。ファリサイ派の人々がやって来て、イエスに強く求めます。「『天からのしるし』を見せてみろ」と。「おまえが救い主であることを示す、誰も否定することのできない、まるで天から直接啓示されるような証拠を見せてみろ」と言うのです。イエスは、この要求を深く嘆かれ、彼らと「その問い」をそのまま放置して、あくまでも「向こう岸」へと進まれていきます。「向こう岸への道」とは、人間を分断する「境界」を越えた出会いと交わりの道を意味しています。その交わりの中に「神の国」や「救い」はあるのであって、それがわからないならば「決してしるしは与えられない(見いだせない」のですが、そのことに気づく者はいないのです。そう、弟子たちでさえも・・・。
向こう岸への舟の中、弟子たちは「パンの心配」を始めます。「パンを忘れた、パンが足らない」と。イエスは弟子たちに、「ついこの間、押し寄せてきた大勢の人々と一緒に、わずかなパンと魚を分け合って食べ、満ち足りた時のことを思いなさい」と言われます。〝どこで食べただろう。海辺で、野原で、何の用意もない場所で、不足無く食べることができたではないか。誰と食べただろう。老いも若きも、病人も罪人呼ばわりされている人も、それに異邦人も混じって一緒に食べたではないか。そこに「神の国」のヒントがあることにまだ気づけないのか。あなたたちが、いまそうであるように、人間には「パンに困らぬ力」への欲望がある。ファリサイ人のパン種(宗教の支配欲)やヘロデのパン種(政治の支配欲)は、虚ろに大きく膨らんで人々の欲望と共鳴し、人間を覆い尽くしてしまうのだということを忘れず、注意して生きていくように〟と諭されたのです。
与党連立政権が獲得した352 議席も、不安や不満のパン種によって虚ろに膨れたパンのようなものでしょう。ただし、膨れた力が暴走すると、とても危険な事態になりかねません。そうしたパン種と膨らみによく気をつけながら歩んでいかねばなりません。吉髙叶

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