2026年4月5日イースター礼拝「沈黙が福音に変えられる朝」

マルコによる福音書16 章1-8 節

驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。(マル16:6)

ささやかではあっても平和を祈りながら歩んでいる私たちの前に「壁」が立ちはだかることがあります。小さいながらもいのちの叫びに耳を傾け、その声に応えて交わりを造っていこうとしている私たちの上に「蓋」がのしかかる時があります。心が折れそうになり、気づいたらため息ばかりをついている時があります。私たちは、今まさに、そのような状態の中にあります。超大国が他国に身勝手な武力攻撃を仕掛け、多くの人々が殺されています。それだけではなく、これらの「破壊」は、この世界の自然、経済、食料、安全保障の未来をも破壊し、激しい禍根を遺そうとしています。こうした死と破壊とが勝利を治めているような現実を目の当たりにしながら、「なぜ終わらせられないのだろう、なぜ止められないのだろう」「いったいこの世界はどうなってしまうのだろう」、私たちは呆然とたたずんでいます。いったい誰が、この墓穴のような世界の「蓋」を取りのけてくれるのでしょうか。
主イエスの生涯を伝えるどの「福音書」も、イエス復活の場面について証言していることがあります。「イエスの遺体を納めていた墓の蓋(大きな石)は脇に転がされていて、中にはもうイエスの姿はなかった」ということです。墓はイエスを閉じ込めておく場所ではなかったというのです。イエスという人は、神の祝福を一人ひとりに注ぐ人でした。
尊厳を保ち合う交わりに招く人でした。痛みと悲しみに寄り添い共感を通して癒す人でした。「神の国は、低められ侮られているこの人のものだ」と宣言する人でした。そんなイエスの信実・イエスのいのちそのものを、墓の中に閉じ込めておくことはできなかったのです。冒頭に書きましたが、いま私たちの世界・私たちの交わりに、あまりにも頑強な壁が立ちはだかり、重く巨大な蓋がのしかかっていて、人間の歴史、人間の真実、人間の理性、人間の希望を閉ざし、人間を絶望させてしまうような力が猛威を振るっています。しかし、私たちにのしかかる岩、交わりを引き裂こうとする壁、希望を塞ごうとする蓋、それらがどれほど大きく強く重くても、必ず砕かれ転がされる。「それを信じて勇気をもって生きよ」と言うのです。闇にいのちを閉じ込めようとしても穴は開き、真実に蓋をしようとしてもきっと脇に転がされる。いのちには、蓋はできない! 暗闇の洞穴に光の入り口が開く! それが、復活の朝に私たちが聞かされる「福音」です。吉髙叶

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