2023年2月19日礼拝「いま、ここを生きる」

ルカによる福音書12 章13-21 節

しかし神は「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言われた。(ルカ12:20)

本日は「『愚かな金持ち』のたとえ」と題されたイエスの譬え話です。イエスの話を聞きに来ていた人々の中に、遺産相続に漏れてしまったことに腹を立て、裁定をして欲しいとイエスに願い出た人がいました。けれども、イエスは、その人物が求めていた「不当な財産分与をただすこと」ではなく、「そもそも財産を託される人間の『いのち』とはどのようなものか」について語られるのです。人間を煩わせる目の前の問題が現実としてありますが、「思い煩い」そのものがどうして生じるのか、そのことに目を向けさせようとします。そのためにイエスが譬え話に登場させた人物の姿。それは、私利・貪欲に心が奪われてしまっているがゆえに、①自分の畑が豊作であったばかりに(ほんらいなら嬉しいことなのに)不安に呑まれてしまい、②たくさんの倉をつくってそれらをしまい込み、③「これでいつまでも愉快に生きることができる」と自分に言い聞かせて安心しいる人物の姿でした。この人の「愚かさ」は、そもそも、自分のいのちも畑の収穫も神から与えられたものであり、しかもそれらが「預かりもの」であることを忘れたことでした。また、自分の現在と将来にばかり執着するあまり、託された「恵み」を他者とわかちあうことにまるで思いが至らず、自分のためだけにしまい込もうとしたことでした。そんな彼に、命にまつわる根源的な事実が一撃として襲いかかります。「今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」。
私たちの命は、与えられ、また取り上げられます。それがいついかなる時かもわかりません。これは誰にとっても根源的な事実です。また、私たちが持たされる賜物や財は、すべてが託された預かりものであって、それらの「恵み」には必ず「使命」が含まれています。ですから、自分を「恵み」の最後の受取人にせず、常にそれらを隣人とわかちあい、それらを用いて神を賛美していくべきなのです。
さて、この譬え話が置かれたルカ12 章は、この世に漲る力(しかも圧迫の力)の中にあって、「わたしたちは何に依拠して生きていくか」という緊張感が濃縮しているブロックです。ルカ福音書が編まれ読まれた紀元80 年代後半~ 90 年代は、自らを「主なる神」と呼ぶことを強制し、激しい粛正をもってローマ内を統治し、皇帝崇拝を拒否する人々を容赦なく処刑していたドミティアヌス帝(在位81-96 年)の恐怖政治の時代です。ルカ共同体の置かれていたそうした時代文脈も、「譬え話」を読む時の鍵となります。(吉髙叶)

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