2026年5月10日礼拝「すべての人の中に、共に」

(召天者記念礼拝)

テモテへの手紙一2 章1-7 節

神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。(テモテ2:4)

本日は、当教会の召天者記念礼拝です。市川八幡キリスト教会は、1962 年1 月から伝道が開始されましたが、1970 年~ 79 年までは事実上の閉鎖状況にあり、「信徒」たちは「霧散」してしまいました。1979 に新小岩教会より23 名のメンバーが「株分け」され、再起動へと導かれてから今日までの47 年間における「人々の交わりと繫がり」の中で、先に天に召されていった方々のお名前を、本日の礼拝の中で読み上げさせて頂いています。この「交わりと繫がり」には、当教会のメンバーであった方々だけでなく、当教会メンバーのご家族(この教会での記念をご遺族が希望なされたご家族)も含まれています。ですから、多くの教会が「故人の信仰を覚え記念する礼拝」と意味づけている「召天者記念礼拝」というよりは、すべての人を天に招いてくださっている神の御心を信じ、感謝を捧げる礼拝という意味合いを持っているのが市川八幡教会の召天者記念礼拝です。
そのような意味で、たまたま本日の『聖書教育』による聖書テキスト・『テモテへの手紙』2 章1-7 節は、当教会の召天者記念礼拝の主旨にとても響いてくれる箇所だと言えます。「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」と記されているからです。神が、「すべての人々が救われること」を望んでおられる以上、しかも、神がどのようなかたちで「その望み」を成就なさるかは人間に分からない以上、すべての人の「救い」は「生きているにしても死んでいるにしても」その人の神である主の御心と御手に委ねるべきなのであって、「生きている内に『洗礼』を受けた人だけが救われるのです」と断定してしまうことは、私たち(教会)にはできないのです。今日の聖書テキストには「神は唯一であり、神と人の間の仲介者も、キリスト・イエスただおひとり」とも書かれていますから、神以外の存在(たとえば教会)が「救いを成就する神の業」を肩代わりすることはできませんし、また、誰も(たとえば教会も)、神と人間の「救いの仲介者」になることもできないのです。それは、キリスト・イエスだけに帰される業です。ですから、教会は、ただただ、「すべての人を救いたい」と望まれている神の想いをどこまでも信じ、神の代わりに、「人間の救い」の秘訣を手にしようとする誘惑を排し、キリスト・イエスの「いのちへのふれあい」の御業に、自らの学びと信頼と祈りと証しを集中すること。それが教会に許されている業なのだと思います。吉髙叶

 

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