2026年4月19日礼拝「人生の思慮深い営み」

テトスへの手紙2 章11-15 節

その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教えています。(テトス2:12)

イエスの姿や言葉を、当時伝えられていた様々な伝承の断片を取捨選択し、イエスの生涯の歩みとして書き残した文書を「福音書」と呼びます。イエスの死後30 年~ 70 年にかけていくつかの「福音書」が編まれていますが、それら「福音書」の原型(モデル)となったのが『マルコによる福音書』です。マルコが「福音書」の編集を企図したのは、イエスの死後30 年以上が経過する中で、生前のイエスを知る人も少なくなり、イエスの生と言葉の意味を共有する必要に強く迫られたからでした。特に、「マルコ福音書」はローマ帝国の迫害が厳しい中、十字架の道に歩んだイエスの生に、共同体の生きる道を深く重ねようとした想いと、使徒の権威などが強調されはじめ、少しずつ制度的になっていく初代教会の流れに抗おうとする意図が見て取れます。「十字架」を、神の御心に堅く立ち抜こうとする者に迫り来る「宿命」として理解する信仰が強くあらわれています。
「イエスの来臨の時に備える」という「終末待望」の緊張感も、年月の経過と共に次第に緩和され、『テモテへの手紙』や『テトスへの手紙』(いずれも使徒パウロの権威にあやかって記された教育的書簡)が記された2 世紀初頭には、ローマ支配社会の中を持続的・継続的に生き抜き伝道していくことが、共同体のテーマとなっていきます。イエスという救い主(キリスト)をあらゆる人の人生とも結びつけ、普遍化して証しすること。こうした動機に動かされて、「十字架」を人間一人ひとりの「罪の贖い」として説(と)く「贖罪論」が宣教の力点となっていきます。と同時に、社会から認知され、信頼を獲得するために、良き人間となり良き集団を形成する「倫理」や「組織論」が、教会の新たな課題となっていきました。「テトスへの手紙」は、そうした時代の「とある共同体」が保有していた文書で、1 章では教会の指導者(長老や監督)たるものの資質について、2 章ではキリスト者たる男性の、あるいは女性の、また若い青年男女の、さらには奴隷の「有り様(ありよう)」について教えています。一読して「ウルトラ家父長主義」ですし、奴隷制度を前提としていますから、そのまま現代の私たちへの「教え・戒め」として受け取るわけにはいきません。そこで、聖書の字句・文言を絶対化せずに、当時の人々が、置かれた時代の中で何を大切にし何と闘っていたのか、それを温(たず)ね、「いまの私たちの課題(アジェンダ)」を対話させていくこと。その作業が、「聖書を読む」という「人生にとっての思慮深い営み」なのです。吉髙叶

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