2022年5月15日礼拝「ちむどんどん、できない」

ルカによる福音書22 章24-27 節

異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。(ルカ22:25)

1972 年5 月15 日、サンフランシスコ講和条約によって米軍の占領下に置かれ続けて来た沖縄が日本に「返還」されました。今日は、その50 年目にあたります。朝ドラの「ちむどんどん」も「本土復帰」50 年を意識して製作・放映されています。やんばるで育った暢子が「その日」東京に出立していくのです。「わぁ、ちむどんどんしてきた~」と。

米軍の占領下に辛酸を舐めてきた沖縄の人々は、その「植民地」状態からの解放を願ってきました。しかし、かつて日本軍によって沖縄戦の犠牲を強いられてきた沖縄の人々にとって「本土復帰」は簡単に受け入れられるものではありませんでした。それでも、「平和憲法」のある国の一員になれば、米軍基地の支配から自由になり、「人権」が取り戻されることを信じて「復帰」を決意したのです。「返還」の後、「癒やしの島・南国リゾート」としての沖縄には、道路やビーチの整備、ホテルの建設とインフラが投入されましたが、「米軍基地」は残され、更に「本土」住民が反対して整理した基地の分まで拡張と機能強化が進み(在日米軍の70%超)、危険も騒音も増し続け、米兵による性暴力事件も頻度を増していきました。「本土」の人々の「癒やしの島」は、沖縄の人々の危険と屈辱の上に造られてきました。矛盾だらけの癒やしを「本土」は貪ってきたのです。
「沖縄返還」「本土復帰」。別の言い方では「施政権返還」とも言います。施政権が日本政府に移りました。しかし、日本政府は沖縄のためにではなく、日米同盟のために「施政権」を行使し続け、現在も名護市・辺野古に巨大な新基地建設を強行しています。何度も何度も、名護市民・沖縄県民がNO!との民意を示しても施政権者はそれを無視し、あるいは覆してきました。沖縄から見れば「施政権」ではなく「支配権」が日本政府に移ったとしか言えないのです。そして、日本の「施政権」よりも上に位置しているのが「日米地位協定」。米軍・米兵の為すことには手が出せない法律です。日本の法が通用しない領域や事柄が沖縄にはいつも横たわっていて、事実上の「占領状態」を意味しています。つまり「沖縄返還」は本質的には実施されていないのです。
いえ、そもそも沖縄(琉球王国)は、かつて日本が武力で併合した地域です。日本に「返還」されるべきなのか、「復帰」すべきなのは「本土に」なのか、という根本問題を忘れてはならないのだと思います。沖縄戦の悲劇と「戦後77 年(沖縄にとっては『戦後0 年』)」という歴史を振り返るとき、とても「ちむどんどん」できないのです。【吉髙叶】

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