2026年2月8日礼拝「ほんとうに守りたいもの」

マルコによる福音書7 章1-13 節

あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。(マルコ7:13)

【信教の自由を守る日をおぼえて】

キリスト教会では、2 月11 日の「建国記念の日」を、そうとは呼ばずに「信教の自由を守る日」と言い表して過ごしてきました。神武天皇の建国神話に基づく「紀元節」を国民総出で祝い、「神国日本」を掲げて近隣諸国を侵略した過去の歴史を反省してのことです。戦時中にはこの流れに与しない団体はことごとく弾圧され、戦争反対の言論は全て封殺されました。その反省に立って掲げられたのが「日本国憲法」です。「信教の自由」「政教分離」の原則は、憲法20 条に明記されました。

【憲法20条1項】.信仰の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

ところが、1966 年(昭41)、反対論を強行に押し切って祝日法が変えられ、再び国民の祝日となりました。しかし、キリスト教界はこれを受け入れず、いまも「信教の自由を守る日」と位置づけています。それは、決して宗教団体としての自らを守りたいからということではありません。「信教の自由」というものは、宗教を信じている人、信仰を持っている人だけに大切なのではありません。人間が信念を持つ、とか、考えを起こす元になる思想を持つ、それは人間一人ひとりに保障された人権の中心だからです。「信教の自由」とは「人間の心の自由は誰からも奪われてはならない」ということと同じ意味です。それは人間一人ひとりの「尊厳」に関わることです。この自由が奪われたなら、人間はどんなにお金や地位があっても、きっと誰かの・何かの奴隷になってしまうのです。
世界中の戦争の歴史を振り返ってみると、戦争を遂行していくために、「この戦争には大義(正しい意味)がある」というスローガンに統一させようとしたり、「神の正義のためだ」と宗教的に正当化してきたことがわかります。支配者の欲望は「戦争」を望み、そのために宗教を利用するのが常であることは歴史の教訓です。「政教分離原則」は、政治の宗教利用と、ひいては戦争を抑止するための大切な原則です。「信教の自由」は一人ひとりの人間の尊厳への応援。そして「政教分離」は国が暴走しないためのブレーキです。
いま世界を苦しめているトランプ大統領と宗教右派「福音派」の結託や、暴かれた自由民主党と旧統一教会の永年の癒着の問題。こうした問題は、必ずしも「政治とカネ」の問題にとどまらず、「戦争と政治」の問題でもあることを見落としてはなりません。吉髙叶

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