2025年12月28日礼拝「風を受け、送り出した人々」

ルカによる福音書2 章21-38 節

シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたはお言葉どおりこの僕を安らかにさらせてくださいます。」(ルカ2:28-29)

今年のクリスマスは「風」の音を聞きながら歩んできました。神がこの世に賜った「新しいいのちの光」に人々をいざなった風。飼い葉桶の赤子の寝息となって新しく吹き始めた風。誰にも気づかれなかったその微かな息が、誰からも顧みられることのない野原の羊飼いたちのため息に繋がり、家畜小屋で結び合いました。飼い葉桶から、人の救いにまつわる力の風向きが変わったのです。
風はそれから40 日後に「信仰の中心地」エルサレム神殿に吹き込んでいきました。その時代の神殿・・・。石は分厚く、祭儀は重たく、硬直した律法支配が人々の息を詰まらせていました。たしかに人々は救い主(メシア)を待っていましたが、その感覚はいつしか微睡(まどろ)み、神殿は「無風の城」となっていました。ただふたりの人物を除いて・・・。
記者ルカは記します。「シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき」と。そうです。風に導かれ、風に押されて、この日、この人は来たのです。シメオンは、新しい改革の風を吹かせるような若者ではありません。ただただ、新しい風を待っていた人です。イスラエルを真に慰めてくれる風を待ち続けていた人でした。そんなシメオンに、ある日、微(かす)かな風が入りました。彼はわかったのです。風向きが変わった、と。彼は、神殿に連れられてきた赤子に走り寄り、その風を腕に抱いたのです。風は彼の永年の待望を貫きました。自分の人生を満たして吹き抜けていく風が、これからの歴史に吹き渡っていくことを確信した彼は、「もう十分だ」と、人生に深く満足したのでした。
神殿には、アンナという高齢の女性もいました。彼女も風を迎えたいと待っていた人でした。若くしてやもめとなり、それ以来、神殿から離れず、断食と祈りを重ねてきた女性でした。アンナは風に気づきました。風を受け止め、その風を人々に送り出しました。「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々」にその風を口づてに届けたのです。
この神殿の場面は、意味深い描写です。宗教的権威や学識に満ちた人々に作用する風ではなく、賑わいの陰で「ずっと待っていた人」「わずかな時間を大切に抱いている人」「もう大きな夢を語らなくなった人」のところに風が吹いた事実を描いています。飼い葉桶から吹き始めた「人の救いにまつわる新しい風」は、いまも、わたしたちの間に吹いています。その風を感じ、その風を送り出す人たちは、誰でしょうか。吉髙叶

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