2021年12月5日礼拝「剣を想像力に、槍を共感力に」

ミカ書4 章1-3 節

主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。(ミカ書4:3)

アドベント第二週に入りました。いま、まさしく私たちが待ち望んでいるキリストは「平和の主」です。アドベントに旧約聖書のミカ書の言葉を心に刻むことに深い意味を感じます。ミカ書4 章の書き出しの言葉は「終わりの日に」です。聖書が語る「終わりの日」とは、この創られた生命世界が、神のみこころに即して締めくくられる日のことです。「神のみこころ」とは天地創造のときの、つまり初発の神の想いのことであり、そ
れが終わりの日に再び打ち立てられるということなのです。キリスト教の基本教理なのですが、「創造論とキリスト論の関連」があります。つまり生命世界を創造した神の祝福と被造物への愛(神の言=ロゴス)が肉体となってキリストとなったという信仰です。やはり「初めのもの」がキリストとなり、キリストが「終わりのもの」になられるのです。それは、祝福であり、愛であり、平和です。
わたしたち人間世界では、どうにも人々が争います。寓話風に語るなら、村と村の境目に小さなこぜりあいがあり、その先に都市と都市とのぶつかりあいがあり、その先に国と国とのいくさがあり、その背後では帝国同士の覇権争いがあります。言い争いの向こうに殴り合いあいがあり、殴り合いの向こうに剣と槍があります。剣と槍の先に銃と大砲があり、銃と大砲の先にミサイルと爆撃機があります。ミサイルと爆撃機の先には核兵器があり、核兵器の先には、もう何もありません。その「破滅」は、とても身近なところまで来ています。
「終わりの日」に神は多くの民の争いを裁かれ、「終わりの日」に神ははるか遠くまでも、強い国々を戒められます。「終わりの日」に人間は剣を打ち直して鋤きとし、槍を打ち直して鎌とし、「終わりの日」に国は国に向かって剣を上げす、もはや戦うことを学ばないのです。これこそが、「初めから」の神の人間へのみこころです。これが神の人間への初めからの要求です。神は、必ず、このみこころによって世界と歴史を締めくくられ、争いの中で奪われていった無辜の民のいのちを慰められます。「終わりの日」がそうであるからこそ、私たちは自分たち自身が生きている、この今という時を、その神の要求を満たして生きるように努めていきたいのです。そのための力は「信じること」と「希望を持つこと」と「愛すること」です。そして、そのために働かせるものは、想像力と共感力です。剣を打ち直して想像力を、槍を打ち直して共感力を。アドベントの招きです。【吉髙叶】

 

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