マルコによる福音書3 章20-21, 31-35 節
「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マルコ 3:34-35)
東京新聞1 月13 日朝刊の一面に、厚労省が「児童福祉法改正案」を通常国会に提出する方針であることが掲載されていました。今回の改正の要点は、家庭内で虐待されているのに児童相談所の保護を受けられない子どもたちの養育を支援する民間団体への補助拡充を計ることが目的です。つまり「社会的養護」の観点からの改正案です。記事によると全国の児童相談所が2020 年度に対応した家庭内での虐待相談件数は20 万件ですが、このうち一時保護になったのは2 万7 千件で、その後も施設や里親家庭で暮らすことへとつながったケースはわずかに4,200 件です。原因は児童相談所の「多忙」にあり、とても対応しきれない状況にあるようです。そうした実情の中、どうしても家を飛び出してしまうしかない子どもに「居場所」を提供している民間団体に対して、国や自治体が補助金を出せるように児童福祉法に明記する必要が生じたというわけです。
児童福祉法は近年改正を重ねていますが、一つの流れは成人年齢を18 歳に引き下げる政策で、この改正は本年4 月1 日から施行されることになっています。いわば人が(家族の保護から)自立する年齢を早める視点です。他方の流れが「児童虐待」に対応するテーマです。家族に代わって社会が公的に保護する必要の視点です。「自立と保護」という一見相矛盾するニーズが錯綜していますし、あるいは絡み合っているのかもしれません。
ところで、政府は2023 年度に「こども家庭庁」を新設しようとしています。当初は「こども庁」という名称の予定でしたが「こども家庭庁」に変更されました。与党内から「子どもの育ちは家庭が基盤だから『家庭』を明記すべき」との要求が出たからです。この与党の認識と、今回の児童福祉法改正案提出の現状認識との間には齟齬(そご)があります。これまでの「家族」の概念や役割が崩れていく現実の中で、一方はあくまでも「古き良き家族像」を取り戻そうとし、他方は「家族」を相対化して「みんなの事柄」(家族概念の社会化)としようとする、そういう方向性がぶつかっているのが今日の状況です。
本日の聖書箇所には、イエスの家族(母や兄弟姉妹)がイエスを見る目と、イエスが「家族」を見る目とが食い違っていた事実が記されています。人前で公然と宣教活動を始めたイエスをなんとか取り押さえ、「そんなこと」をやめさせようとする家族たちですが、イエスはもはや血縁によって囲んでしまえないものに依拠して生き始めていて、新しい繋がりや交わりの中に人々を招き入れていたのでした。新たな紐帯の出現でした。【吉髙叶】