ルカによる福音書2 章8-20 節
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。(ルカ2:12)
アドベントになると、市川八幡教会の礼拝堂の入り口に家畜小屋の風景の飾り物が置かれます。東方から旅をしてきた占星術の学者たちと、御告げを聞いて救い主を拝みに来た羊飼いたちとが、飼い葉桶を囲んでいる構図です。マタイ福音書は、救い主を探し礼拝したのは東方の学者たちであったことを証言し、ルカ福音書はその地方で野宿をし羊の群れの番をしていた羊飼いたちであったと証言しています。両方の福音書を読むことができる現代の私たちは、飼い葉桶の周りに父ヨセフと母マリア、学者たち、そして羊飼いたち全キャストを配置して「クリスマスの風景」としてまいりました。聖書に忠実ではありませんが、それは大変シンボリックな構図だと思います。
クリスマス、それは暗闇の中にたたずんてきた人々が、暗闇の中から集められてきて、身を寄せ合うように救い主を迎えていく風景です。そもそもヨセフとマリア自身が、ナザレに暮らしていながら、迷惑な人口調査のゆえに過酷な旅を強いられ、ベツレヘムに辿り着いたばかりでした。それなのに居場所はどこにも無かったのです。彼らの持つ意味は「排除と貧しさ」です。東方の学者たちも、知らせの星を確認し、行き先を知らぬまま出発し、星の導きに促されてベツレヘムに辿り着いた人々でした。彼らの持つ意味は「よそ者」です。羊飼いたちは過酷な深夜労働の現場に届けられた御使いの知らせを聞いて探しに来た人々でした。彼らの持つ意味は「汚れた罪人」です。暗闇の中から、疲れと悲しみを引きずりながら、排除された貧しい夫婦とよそ者たちと罪人らが導き寄せられた場所は「飼い葉桶」でした。しかし、そこに「希望と平和のしるし」が寝かされているのです。飼い葉桶を悲しみが囲む、この風景こそがクリスマスの象徴的な意味合いではないでしょうか。
今年、わたしたち人類にあまりにも大きな悲しみが覆い被さりました。ウクライナ戦争です。現代という時代に、まるで筋の通らない低劣な暴力が大国の手によって振るわれてしまい、命が、町が、秩序が、破壊されています。良識が、信頼が、未来が、破壊されています。あまりにも深い悲しみが地球の地表を覆ってしまいました。悲しみに満ちた世界、それが偽らざる現代の姿です。そして「わたし」も、悲しみに沈む一人の人間です。キリストよ、あなたをお迎えします。悲しみにみちたこの世界に。(吉髙叶)