使徒言行録18 章1-11 節
ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」(使徒18:9-10)
アテネで散々な目に遭い、意気消沈しながらコリントにやってきたパウロでしたが、そのパウロをとても元気づける出会いが起こります。それがアキラとプリスキラという夫婦との出会いです。この両者の出会いには重大な伏線があります。
イエスの死後、残された弟子たちの中に「イースター事件」と言える体験が次々と起こされていきます。十字架で死んだイエスが復活し(起き上がり)、新しい命に招いているというのです。「このイエスこそがメシアだ」との証しが伝搬していくようになります。この人々は当初「ユダヤ教イエス派」と呼ばれました。この「ユダヤ教イエス派」に加わる人々は、ユダヤ人もいれば、他国育ちのユダヤ人もいましたし、割礼を受けて「ユダヤ化」した異邦人もいました。背景は多様でしたが「割礼を受けた人」という前提を持ちエルサレムを中心に集まっていました。あるとき、これら「ユダヤ教イエス派」への大弾圧が起こり、信徒たちはちりぢりに離散(飛散)していくことになります。地中海世界の各地に証言活動が散らばり、「家の教会」が形成されていくようになります。
さて、パウロはもとは熱狂的なユダヤ教徒で、「イエス派」迫害のリーダーでしたが、やがて「イースター事件」を身に受けてしまい、「イエスこそメシア」と証言する人になります。その後、アンティオケ教会を拠点としてアジア地域に布教しました。それらの活動を通して彼が確信した事は、「人はイエスを信じさえすれば良い。律法遵守や割礼を必要とはしない。異邦人もそのままで良い」ということでした。この確信を「イエス派」全体の理解にするため、「エルサレム使徒会議」を開いてその主張を認めさせたのです。この決定の知らせはたちまち世界中の「イエス派」の人々に伝搬し、ローマの家の教会の人々にも伝わりました。各地の「イエス派」の人々はかなり混乱したと想像できます。
アキラとプリスキラは、以前からパウロと同様な理解を持っていたようです。あくまでも「ユダヤ教のイエス派」としてローマ当局に対して穏便に過ごしたいと考えていたユダヤ主義の人々とは違って、「全ての人々の自由を」「イエスの解放は全ての人々に」と信じるアキラやプリスキラの様な人々が、ローマの中で、時折ラディカルな騒動を起こしていたようです。これに怒った皇帝クラウディウスがその中心人物たちをローマから追放する出来事が起こりました。コリントに辿り着いたこの二人とパウロの出会いがこのようにして起こり、共に翻っていくところから「コリント伝道」が始まります。【吉髙叶】