使徒言行録26 章19-32 節
はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったことではありません。(使徒26:26)
伝道者パウロは、長い「伝道旅行」の末にエルサレムに戻ってきました。現在のトルコとギリシャを三周する10 年にも及ぶ旅でした。パウロ語るイエスの使信は、訪ね行く町々で人々を驚かせ、また反発も引き起こしました。それでもパウロが自分自身の物語と重ねて語る「イエスの死と復活」の証しが、幾人かの人々の心には刺さったようで、自分も「イエスを信じて生きたい」と考える人々の交わりが行く先々で生まれていったのでした。しかし、それはユダヤ教指導者たちにとって激しい苛立ちとなりました。パウロは伝道旅行の間中、執拗に彼をつけねらい、彼の伝道(出会い、ふれあい、わかちあい、交わりを持つこと)を妨害しようとする人々によって苦しめられました。何度も謀殺されそうになりながらも旅を続け、その果てにエルサレムに戻ってきたのです。そのエルサレムで、彼を憎悪する人々が暴動を起こし、辛うじてローマの駐屯兵たちに保護されて命を取り留めます。あくまでもパウロ暗殺を諦めないユダヤの指導者たちの執拗な殺意を危険視したローマ軍千人隊長は、パウロの身柄をエルサレムからカイザリア(当時ユダヤを統治していたローマ総督の官邸があった)に移送します。パウロはそこで獄中生活を送ることになります。
ローマ総督フェリクスは、ユダヤ人たちの歓心を買うためにパウロの処遇を利用するような人物で、パウロに対する訴状を審査せず、ただただ彼を監禁し続けたのです。総督が後任のフェストゥスに交代し、パウロは再び取り調べの場に出されます。それは、パウロの処刑を求めるユダヤ人たちが再度陳情し、「エルサレムへ身柄を引き渡して欲しい」と求めたからでした。彼らは、エルサレムへの護送中にパウロを襲撃し、暗殺する計画を立てていたのでした。このように、状況が転じること無く、また監禁状態がいたずらに長引く事態を打開するため、パウロはとうとうローマ皇帝に「上訴」し、自分の身を「ローマへの道」に乗せてしまうのです。このようにして、パウロの「物語」(イエスの十字架と復活の体験物語)は、ローマへと向かっていくことになります。
本日の使徒言行録26 章は、「上訴」した後のパウロが、総督フェストゥスとユダヤ王アグリッパの前で弁明する場面なのですが、もはや弁明や釈明の域を超え、大胆にもフェストゥスとアグリッパ本人に「イエスの死と復活」を信じるように呼びかけているのです。「あなたたちも、私のようになって欲しい」と、真っ直ぐ語りかけるのです。【吉髙叶】