ルカによる福音書4 章16-30 節
主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。(ルカ4:18-19)
アドベントが「世界祈祷週間」と共に始まっていくことに大きな意義を感じますし、この時期にルカ福音書4 章18-19 節の言葉を噛みしめることの大切さを考えさせられます。この言葉は、イエスご自身が、自分が神から遣わされた目的を明示された宣言でもあります。「貧しい人に福音を告げ知らせ、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」まさしくイエスの「宣教理念」です。直前の「荒野の誘惑の克服」(ルカ4:1-12)は、イエスが宣教を開始する起点となった事件です。そこから、「公生涯」と呼ばれるイエスの活動が開始されるのですが、その初っ端(しょっぱな)に語られたのがこの言葉ですから、まさしく「宣教宣言」だとも言えます。それくらい大事な箇所、大事な言葉なのです。
「世界祈祷週間」を大切に推進する女性連合は、「国外伝道」の目的の柱を明示するように、毎年この聖句を中央に掲げて来られました。イエスの派遣、宣教師(働き人)の派遣、そして自分たち教会のこの世への派遣、そこに先立つ「神の宣教」「神の想い」を重ね合わせていく、それがアドベントと「世界祈祷週間」の重なりとなっていたのです。
このイエスの「宣教宣言」につづいて、ルカ福音書は実に衝撃的な出来事を記します。それは、イエスが自分の故郷の人々から排斥され、追放されていく事実です。最初は立派になって帰ってきたイエスを褒めそやしていた故郷の人々も、自分たちの幸福のために働いてくれそうもないイエスに、しかも、いわゆる「罪人」や「異邦人」の救いのことを大事そうに語るイエスに憤慨し、殺してしまおうとさえしたのです。
「宣教宣言」に続いて、こうした近親者たちとの決別を配置するのは、ルカの大きな編集意図があります。福音(神の解放の知らせ)は、当時の人間が誰しも縛られていたユダヤ主義、律法主義、同郷の枠組み、家族の血縁関係をぐんぐん超えて広がるのだ。それは、ナザレからガリラヤ一帯へ、ガリラヤから町々へ、そしてエルサレムへ。エルサレムからサマリアを通りアンティオケアへ、そしてアジアへ、ギリシャへ、ローマへ。この世のあらゆる場所にあって、疲れた者、重荷を負うている者たちが慰められ、縛り付けられていた諸々の力から解き放たれ、「主の恵みの年」を人生に迎えるのだというルカ文書(福音書と使徒言行録)のモティーフの最初の一手がここに打たれています。(吉髙叶)