ルカによる福音書4 章1-13 節
イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。(ルカ4:8)
ヨルダン川でヨハネよりバプテスマを受けられたイエス様は、霊によって荒れ野に導かれ、そこで40 日間の断食を開始します。マタイによる福音書では「悪魔から誘惑をうけるために」とあります。聖霊に導かれて行った先で、悪魔からの誘惑を受けるというのは少し不思議です。「聖霊に導かれて」とあるようにこれは「神さまの計画」によるものでした。しかし、これは「誘惑」は常に身近なところに潜んでいて、私たちの心が弱っているときには、その「誘惑」は心の中にスッと入り込んでくるというメッセージかもしれません。そのためにイエス様は断食をし、私たちと同じく誘惑を受けやすい弱い者になることで、誘惑に負けない方法を見せてくれている気がします。そしてイエス様はその誘惑を見事にすべて打ち払います。
第1 の誘惑では「石がパンになるように命じてみろ」、つまり自分の力を、自分のために、欲のために使ったらどうだ?という誘惑でした。空腹のイエス様はそれでも申命記にある「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」とその誘惑を退けます。第2 の誘惑、「悪魔を拝むならば、この世の権力と繁栄を与えよう」は、この世の権力と繁栄を自分のものにしたらどうだ?という誘惑でした。これもイエス様は申命記6 章から「聖書には『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」とキッパリ打ち勝ちます。第3 の誘惑は「神の子ならば、ここから飛び降りてみよ」。これは「神の子」であるならば、「神さまが本当に守ってくれるかどうか試してみたらどうだ」という「神さまを試みてみよ」という誘惑です。そしてさらに、「聖書には『御使いに命じてあなたを守る』」と書いてある」と、旧約聖書の詩編91
編からの言葉を引用しながらも誘惑してきます。聖書の言葉、すなわち主の言葉を使っての誘惑、悪魔にとっては「会心の一撃」だったでしょう。しかし、これもイエス様は申命記からの言葉から悪魔と対立し、まったく動じることがありませんでした。
今日、私たちの周りにはたくさんの「誘惑」が潜んでいます。「物欲」、「社会的欲求」、そして「安全への欲求」は常に私たちを試みています。そしてイエス様は人間と同じ弱い立場になり、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と力強く、私たちに誘惑を打ち払う姿を見せてくれました。今年もいろいろな事があるかもしれませんが、それでもみんなで支え合い、神さまだけに従って礼拝を捧げていきましょう。(鳥飼正樹)