ルカによる福音書18 章1-8 節
憎み争いあとを絶ちて愛と平和は四方にあふれみ旨の成るはいずれの日ぞ。きたらせたまえ主よみ国を。(新生讃美歌326-3)
トルコ・シリア大地震の死者が5 万人を超えたと報じられています。阪神淡路大地震の20 倍のエネルギーが大地を揺らし、パンケーキクラッシュによって潰れた建物が累々と広がる中で、懸命に続けられる捜索活動。充分な体制が取れずに難儀を強いられているようです。他方、2000 万人を超える人々が被災者となり、生命や人生の危機に瀕(ひん)しています。壊れたのは建物だけでなく、人間であり、人生であり、コミュニティであり、人々が抱いていた夢でした。世界がともに「探さねばならない何か」があるはずです。
わたしたちも12 年前の2011 年3 月11 日に、東日本大震災というカタストロフィ(破局の時)を経験しました。まだ12 年しか経っていません。とうぜん、壊れたものを再建・再生できずに、それが背中に負ぶさったままの人々が大勢います。あの災害と破壊を、他人事にできない人と他人事にできる人たちがいます。他人事(ひとごと)にできる圧倒的多数の人々の忘却と無責任につけこんで、たくさんの「必要」は切り捨てられ、たくさんの涙の訴えが放置されました。味も匂いもしない放射能が、「だから無いもの」のように扱われ、生き場所の無い(用意されなかった)人々の弱さと望郷の念につけこんで、猛毒の漂(ただよ)う空間に帰(もど)しています。それどころか、原発再稼働、原発寿命の延長、汚染水の海洋投棄など、10 年前なら口にすらできなかった案件が、易々(やすやす)と閣議決定されていきます。
東日本大震災と福島第一原発事故は、それまでの日本社会にひそんでいた闇をさらけ出しました。なぜ過疎地の海岸に原発が林立するのか。なぜ「事故は起きない」という神話を前提にできたのか。そして、なぜ「責任者がいない」のか。原発を再稼働させることは、あの日まで日本の政治や経済を支配してきた「闇のようなやり方」を再稼働させることなのです。あの震災と事故の経験から、オルタナティブな(それまでとは違う)社会や未来をどう描いていくのかという思想は、ついぞ政治と無縁のままでした。そしていま、原発依存の促進と軍事費の倍増化。「露ウ戦争によって迫ってきた現実問題だ」と、不安と物価高にさらされている民衆心理ににつけこんで「エネルギー確保と防衛力強化」を強調し、その回答を「原発と軍拡」に直結させていく。「つけこんで、目論見(もくろみ)を果たす」、そうしたあさましい政治が更なる暗黒を引き寄せています。それは日本だけに限らず、多くの国々が右へ倣(なら)えで軍事費増額を加速化させ、原発依存に戻っています。
世界がともに「離れなければならない何か」があるように思えます。(吉髙叶)