アモス書1 章1 節、2 章6-16 節
わたしは決して赦さない。彼らが正しい者を金で、貧しい者を靴一足の値で売ったからだ。(アモス2:6)
「階級社会」とは、生まれ・職業・財産・教育などによって社会的地位が固定され、上下関係がはっきりしている社会のことを指します。生まれた家庭の富裕度によって、人生の進路がほとんど決まってしまうことから、最近では「親ガチャ」などという言葉も生まれています。経済的に裕福な家庭に暮らす子どもとそうでない子どもは、教育の機会(学校・塾・習い事)も就職のチャンスも著しく不均衡で、受けられる医療の程度にも差が生じます。貧しい家庭に生まれると「上の階級」に上がるのが難しく、逆に「上の階級」の者は下に落ちにくい状態になります。つまり「親の地位=子の地位」となりがちです。次第に、政治的・経済的決定権を上位階級が代々独占していくことになり、わずかな支配層と多くの被支配層とに分断されていきます。階級間で差別意識や反感が強まり、さらには貧困層・被支配大衆の間で、互いに対立感情やヘイトが生み出されてくようになります。「国民総中流社会」と呼ばれていた「昭和」後期はすでに過去。日本社会は格差社会がどんどん進み、いまやどう見ても「階級社会」となっています。
このような社会の状態が定着して富の分配が不均衡にならないように、人間の尊厳に光を当て、社会を整え、そこに暮らす人間同士の間柄を柔らかく保っていけるようにするのが「政治」であり、その社会像や理想像を示すのが「政治哲学」なのですが、どうも日本の政治家の口から「哲学」を聞くことができなくなって久しいように思います。
預言者アモスが活動をした紀元前8 世紀は、北イスラエルがけっこう繁栄していた時代だったと言われています。しかし、その経済的な豊かさは民全体にではなく一部の富裕層に独占されていくことになります。政治も司法も賄(まいない)を伴うようになり、血族・血縁が優遇されていきます。民衆は極端に貧しさを強いられ、小作農化・非正規労働者化が進みます。借金が必需となり、その結果、わずかな借金が原因で「奴隷化」「娼婦化」されていくことになります。他方、社会や人間の倫理感や共生を促すべき役割を担うはずの「宗教界」も腐敗し、利益享受サークルの一員となり、神殿周辺には遊郭や宴会場が設けられ、貧しい人々から吸い上げた税金で、拝者たちが豪遊する光景が日常のものとなっていました。アモス書2 章6 節~ 16 節は、そんなイスラエルの繁栄の闇を、神が「不正義」と呼んで厳しく断罪する言葉が、弓矢のように放たれています。吉髙叶