2025年8月17日礼拝「神さまが求められていること」

申命記10 章12-22 節

今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。(申10:12)

8月に入って申命記を読んでいます。申命とは「重ねて命じる」という意味だと前のメッセージで聞きました。モーセは、エジプトを出て約束の地カナンへ向かう長い旅の途中、何度も神さまに背き続けた“かたくなな”イスラエルの民に対し、カナンに入る前にもう一度神さまの律法を伝えました。つまり、すぐに神さまを忘れがちな私たち人間に、それは今日(こんにち)聖書を読む私たちにとっても、あらためて心に刻みなさいというメッセージとして読んでみたいと思います。
今日の聖書箇所のタイトルには「神が求められること」とつけられています。申命記10 章12 節から早速「神さまが求められていることは何か」について話しています。
まずはモーセが「今、あなたに」、つまりイスラエルの民に語りかけています。「神さまは奴隷として虐(しいた)げられてきたイスラエルの民に心を留めて、人間では不可能な大いなる力をもって私たちを救い出してくださった。しかも全ての民からあなた方を選んで宝の民とまでしてくださった。それはあなた方がどの民よりも小さく、貧弱であったからである。しかしあなた方は40 年の長い旅の中で、神さまに何度も背いた。しかも子牛の像を作ってそれを神とまでしようとした。それでも神さまは私たちを見捨てず、民を滅ぼさず、祈りを聞いてくださった。」「神さまがイスラエルの民に求めていること、それは、この小さき私たちが幸せになることです。」そのために「私たちは神さまを愛し、心をつくして神さまに仕え、神さまの戒めと掟を守って生きていきましょう」とモーセは重ねて命じています。
それでは、今日の聖書箇所から「今を生きる私たち」に神さまが求めていることは何でしょうか? 今を生きる私たちは、もしかしたら神さまが与えている「訓練の時」なのかもしれません。神さまの正しさを知り、そして神さまの愛を信じて生きる時です。人間が生きていく中では悲しいことや、辛いこともたくさんあります。ときに「神さま、どうしてこのような辛いことが起こるのでしょうか」と聞きたくもなります。そして荒れ地を旅するイスラエルの民と同じように神さまの思いに背いてしまうこともあるかもしれません。でも、そのような苦難な時でも、私たちは「神さまとのつながり」を思い、神さまが私たちと共にいてくださると信じることが大事だと思うのです。鳥飼正樹

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