2026年3月15日礼拝「主の食卓・新たないのちの宴」

マルコによる福音書14 章12-26 節

イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」(マル14:22)

受難節第四主日、本日の聖書テキストはいわゆる「最後の晩餐」の場面です。私は、キリスト教会にとって、非常に重要なキーワードの一つが「食卓」だと思っています。教会の福音宣教の5 要素と呼ばれる「礼拝(レイトルギア)」「宣教(ケリュグマ)」「交わり(コイノニア)」「奉仕(ディアコニア)」「証言(マルトゥリア)」のすべては、「主の食卓」に深い関係があります。「礼拝」は主の食卓に共に集められ、主のからだ(主イエスの言葉・主イエスのいのち)を味わう事を本質としています。そして、そこで味わうべき言葉(パン)の中味を「宣教」と呼んでいます。またその「食卓」に誰が共に座っているのか、その「交わり」の様子は主の食卓の姿に倣っているのか、と確かめていきます。そして「主の食卓」から出かけて行って、とりわけ空腹な人や重荷を負わされて苦しむ人に「仕える」働きに皆で取り組みます。主の食卓で共に交わる喜びを「証し」したり発信したりすることも教会の宣教の大切な一つです。すべては「主の食卓へ」「主の食卓で」「主の食卓から」「主の食卓を」と、主の食卓をめぐる出来事だと言えます。その「主イエスの食卓」のイメージは、一つには「『罪びと』たちとの食事」や「大勢の人々との共食」であり、一つには「最後の晩餐」の風景です。
イエスの復活のあと、再出発した初代のクリスチャンたちは、イエスのこの食卓を記念する共同体となっていきました。迫害の中を掻い潜ってでも、この「主の食卓」を囲むことを、新しい生き方のかたちにしていきました。初代教会の中核を担った12 弟子たちは、最後まで(最後の食卓まで)イエスの食卓の意味が悟れませんでした。「神が誰を招いているのか」、それをイエスがどれほど真剣に捉え、自ら食卓をつくっていったか。その食卓を、どんなに攻撃されても愛し続けたからこそ、イエスが「十字架の報復」を受けることになったこと。そのことを、イエスが死に、そして復活された後で、弟子たちはようやく理解しました。「その最後の食卓に座っていたのは自分たちだった。その自分たちは、あの食卓の直後にイエスを捨てて逃げ去ったのだ」と。
「主の食卓」を作り続けよう、それが初代教会の宣教の指針となりました。自分たちの罪と弱さがイエスに丸ごと受けとめられていたあの「主の食卓」、それを「教会のいのち」にしよう、「新たないのちの宴」にしよう、と歩み始めていったのです。吉髙叶

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