2021年12月19日クリスマス礼拝「ベツレヘムの星は、今も暗い夜に」

ルカ福音書2 章1-16 節

彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカ2:6-7)

クリスマスおめでとうございます。みなさま方の上に、神からの慰めと希望が届けられますようにとお祈りいたします。さて、当教会のクリスマス委員会で話し合って、今年のクリスマスのテーマを「ベツレヘムの星は、今も暗い夜に」といたしました。
今年2021 年も、昨年以上にコロナに揺さぶられ、悩まされた年でした。「緊急事態宣言」に翻弄させられて、不十分だった生活への後悔、不燃焼のまま過ごしている空白感を抱えたりしています。会いたい人、会うべき人に会えなかった寂しさ。慣れ親しんできた生活様式がもう戻ってこないかもしれない寂寥感(せきりょうかん)。誰もが少なからず疲れやダメージを受けているように思います。他方、政治や行政はなぜだか民衆の気持ちと噛み合っていないようで、「なぜ今、それができないのか」「なぜあの人たちを助けられないのか」と忸怩(じくじ)たる思いを持つことが多くありました。クリスマス委員会では、そのようないささか暗い現実や人間の疲れを「ベツレヘムの夜」に重ねていきたいと話し合いました。しかし、そのような場所にこそ、そのような夜にこそ、救い主誕生の知らせの星は現れ、また御使いたちの歌が響くのだということを信じていきたいと願ったのです。
ルカによる福音書が記す救い主誕生の報告は、実に強烈なコントラストが表現されています。世界支配の頂点に立つローマ皇帝アウグストと、親族たちのいる故郷の町にすら居場所を得られず、家畜小屋の飼い葉桶の中に生まれてしまう赤子イエスという「二人の王」のコントラストです。つまり「最頂点と最底辺」を対置させます。勅令一つで植民地に暮らす全人民に過酷な旅をさせることができる皇帝。他方、命令一つで、まるで風に吹かれて舞い散る枯れ葉のような民衆の、さらに吹きだまりのようなところに追いやられていく貧民の子として生を受けるイエスの対比です。しかし、ルカは福音書と使徒言行録の二つの記録を通して、ベツレヘムからガリラヤへ、ガリラヤからエルサレムへ、エルサレムから世界各地へ、そして皇帝の都ローマへと、「イエスこそが救い主」という福音が突き進んでいく道程を描いていきます。
ベツレヘムの飼い葉桶、この「最底辺の場所」こそが真の救い主の居場所、そして出発点なのです。その場所を慈しむまなざしこそが、最終的に人間を包み、照らし、慰める「平和の基調」なのです。ベツレヘムの星は、今も暗い夜を照らしています。【吉髙叶】

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