2026年9月13日礼拝「厳しい声、生き直しの場」

サムエル記下16 章5-14 節

主がわたしの苦しみをご覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。(サム下16:12)

先週、私たちは『サムエル記』下12 章に登場する預言者ナタンの声を聞きました。ダビデが、企図をもってウリヤを死に追いやり、その妻バト・シェバを自分のものにした。そのことに対して、ナタンは一つのたとえ話をダビデに語り、最後に「その男は、あなただ」とダビデに突きつける言葉です。更に、「ダビデ物語を読んで怒りをおぼえている『私たち』にも『その男は、あなたではないのか』という問いが向けられているのではないか」と私は結びました。「だとすると、この時代の中で、私たちが誠実に生きるためにはどうしたら良いのだろうか」という問いをもって、「宣教」を結んだのでした。
その後、自分の中に余韻は残りました。「どうしたら良いのだろう」と悩むことは大切なことだが、何より、「その男はあなたではないのか」と問いかける声(他者)が与えられていることこそが「幸い」なことなのだ、と。そして、本日の『サムエル記』下16 章の、「シムイの激しい断罪の声」もまた、ダビデにとって「聞くに必要な声」だったのだと、「ナタンの声とのつながり」を見いだしました。
ダビデはいま、なんと、部下たちと共に逃亡の道を辿っています。しかも、息子アブサロムの反逆と蜂起によってエルサレムを逃げ出さざるを得ない事態に至ったのです。満身創痍で歩む道に、突然シムイという人物が現れ、ダビデに罵詈雑言を浴びせます。シムイは、前王サウルの身内です。彼は、ダビデに向かって「出て行け、出て行け、流血の男」と叫び、石を投げつけ、塵をかけるのでした。怒った部下が「斬り殺してやりましょう」と言いますが、ダビデは「放っておけ。言うままにさせておけ」と言い、その声に追いかけられながら進んでいきます。ダビデは、シムイの呪いの声を通してさえも、自分のこれまでの姿と犯してきた過ちを振りかえる道を辿っていたのです。この道、この時、この場こそが、ダビデが「人生をもう一度生き直すため」に必要な出来事だったのだと思います。そして、こうした叙述にこそ、『サムエル記』などの歴史書を編纂した後の歴史家たちの「問い」が大切に込められているのではないでしょうか。
現代にまなざしを転じると、この世界を牛耳っている「この世の王たち」はどうでしょう。自分に反対したり批判したりする国や人々を、「敵」と呼び、制裁や報復の対象にしています。「それは、とても危険な道だ」と聖書は問いかけているのだと思います。吉髙叶

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