マルコによる福音書5 章25-34 節
娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。(マルコ4:9)
『マルコによる福音書』の5 章は、イエスの「地理的移動」から始まります。イエスは湖を渡り、「向こう岸」のゲラサの地へと出かけました。そこは、ユダヤ人にとっては異邦の地、「不浄な」豚が飼われている場所、近づいてはならない場所でした。そこでイエスが出会ったのは、「悪霊に憑かれている」と忌避され、墓場に鎖でつないで隔離し、誰からも近づかれることのない人でした。まさに不可触(アンタッチャブル)な存在です。イエスはその人に向き合い、癒し、住民たちの中へと返します。そして再び、湖を渡って「向こう岸」(つまりは「こちら岸」)のガリラヤ地方へ戻って来ます。しかし、マルコは「戻ってきた」とは記さずに、再び「向こう岸へ渡った」と記すのです。ここに、「イエスの歩みは、常に『向こう岸』へ渡る道であった」というマルコの告白があります。
さて、「こちら岸」でイエスを待っていたのは、会堂司ヤイロと、そしてもう一人、名前も記されない一人の女性でした。十二年の間、出血が止まらない原因不明の病にかかり、「汚れている」と忌み嫌われ、人が集まる場所に近づくことも、人に触れたり触れられたりすることを禁じられた女性でした。この女性もまた「向こう岸」に追いやられていた人でした。墓場につながれた人もこの女性も、「向こう岸」=「境界の外」に置かれていた存在です。この二つの物語をつないでいることがあります。それは、ユダヤの通念として、「あってはならない接触」です。人を隔てる「境界」が厳然と存在している、しかしイエスは「境界を越えたふれあい」を起こして歩んでいく、ということです。
長血を患ってきたこの女性は、正面からイエスに向かい合うことは許されませんでした。群衆に近づくことそのものが禁じられていました。しかし、この十二年間の苦しみと疲れと悔しさの淵の中から、力を振り絞って立ち上がるかのように、群衆の中に身を突き入れたのでした。群衆にまぎれ、後ろから手を伸ばし、やっと、そっと、イエスの衣に触れました。自分にはめられてきた「境界」を越えたのです。その瞬間、「自分の病の元(出血の元)が乾いていく」のを感じたのでした。イエスは、そのことに気づき、立ち止まり、衣に触れたその人を探し始めます。弟子たちからたしなめられようが、出会うまで探し続けます。そして出会い、向き合い、群衆の前に立たせ、呼びかけるのです。
「娘よ」・・・。この一言で、この女性は「関係の中に」呼び戻されていくのです。吉髙叶