創世記7 章1-24 節
主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。」ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。(創7:1,5)
人間の世界に悪が満ちていることに神が怒り、洪水をもたらして地上のあらゆる命を死に絶えさせたという「洪水物語」は実話(歴史的事実)ではありません。古代においてメソポタミア文明圏もエジプト文明圏もインダス文明圏も黄河文明圏も、とにかく地上全体が丸ごと拭(ぬぐ)い取られたという事実はないのです。しかし、大雨と洪水によって河川流域が氾濫(はんらん)し、広範囲にわたる地域が呑(の)み込まれてしまうという災害が度々(たびたび)起こってきたことは事実で、どの文明圏にもその証拠となる地層が存在しています。
そして古代より、そうした洪水被害(や自然災害)が何ゆえに引き起こされたのかとの原因譚(たん)物語が、最も古くは『シュメル文書』に、またバビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』に、そしてイスラエルの『創世記原初史』にと書き留められてきました。常にそうした大災害を恐れ(畏れ)ていたからでもあります。それぞれが、人間の罪性と悪の深淵(しんえん)を見つめ、欲望と争いに疲れ果て、人間同士の歪みや神との関係の歪(ゆが)みに苦しみ、そして現在(いま)が引き起こしかねない破局の未来を予感しておののいたのです。また、それゆえに悔い改めを呼び起こし、転換(生き直し)への警告を放ってきたのです。つまり「洪水物語」とは、それぞれが語られ・読まれた時代にとっての「現代的課題」を常に内包していたといえます。
繰り返しますが、有史以来、神が世界を丸ごと滅ぼしてしまった事実はありません。しかし、有史以来、「わたしたちの現代」ほど、世界が丸ごと滅んでしまう危険性に満ちた時代は無いと言えます。まさしく、丸ごとです。それは、言うまでも無く「核戦争による終焉(しゅうえん)」であり、「気候変動による生命世界の絶滅(ぜつめつ)」です。ですから、今ほど「洪水物語」に真摯に向き合わねばならない時代は無いと思います。神が裁(さば)きとして人間を滅ぼすことはありませんし、神ご自身は決してそのようなことを望んではおられませんが、悲しいかな人間が自ら破滅(はめつ)していこうとしているのが事実なのです。ですから、「神は誰を裁き、誰を選ぶのか」という問いに終始するのではなく、「乾いた陸(おか)で箱舟をつくる生き方」とはどのようなことなのかと考えること、また、目前の「現実の必要」に煩(わずら)わせられながらも、人間として「ほんらい必要なもの」や「やがて必要となるもの」を尋ね求めて生きようとすること。危機的な「現代的課題」から目をそらさず、その中にあって希望と人間性を取り戻す作業として「洪水物語」を読んでいきたいと思います。吉髙叶