創世記8 章1-22 節
神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。(創8:1)
聖書の『洪水物語』の第三幕(8 章)にさしかかりました。40 日40 夜降り注いだ大雨が、地表をすっかりと呑み込んでしまい、あらゆる命が息絶えてしまった場面です。暗い空とただただ水が漲(みなぎ)っている世界。「無の世界」としか呼び得ない水の表面に、木の葉のように箱舟が浮かんでいます。うねりを受け、左右上下に揺れながら漂う一隻の箱舟。その中にだけ、命がありました。その中にだけ、未来の種元が保たれていました。この箱舟は、大雨が降り始めるはるか以前に造られました。主がノアに命じたからです。乾いた陸(おか)の上で、意味も知らされず箱舟造りに取り組む。しかも巨大な舟です。おそらくノアは自分の持てるすべてを混入して建造しなければならなかったでしょう。このような意味もわからず、確証の得られない仕事に。
しかし、この箱舟が生きる時がほんとうに来ました。なぜ箱舟なのかの意味を知らされる時が。それは、人を呑み込む洪水の中に浮かぶ「生命のシェルター」だったのです。とはいえ、どんなに巨大な舟だとしても木造船です。すべての山々を呑み込むほどに洪水が漲(みなぎ)る世界の中にあっては「板きれ一枚」ほどの舟です。いわばオブラート一枚の世界です。しかしそのオブラート一枚が、いのちと未来を包み、守っていたというのです。
その板きれに覆われた舟の中では、待つしか無いいのちが息をしています。神が定める時と場を待つしか無いいのちたちが。鳩を天窓から放ちながら、時と場の訪れを、すがるようにして、願うようにして、ひたすら待ち続けるいのちたちの、あまりにもか弱く小さな姿。ここにこそ、新しく再創造される生命世界の原点があります。
聖書の『洪水物語』はこの世界の何事かを、また人生にとっての何事かを象徴的に表現しようとした物語です。しかも神と自分たちの関係を、つまりは人間の生に対する態度の問題を省察しようとする営みです。登場するあらゆる設定に、時代を映し込んだり、自分たちの来し方を重ねながら、神の祝福された生命の有り様と新しく生き直していく道とを求めようとして編集されました。こんにち、わたしたちも聖書を読みながら、その作業に与(あずか)りたいと思います。さて、「洪水」になにを連想しましょうか。「箱舟」になにをあてはめましょうか。「箱舟づくり」はどういう生き方でしょう。「鳩」になにを、鳩が加えてきた「オリーブ」になにをなぞらえましょうか。そのように思いを尽くして生きようとする人々を、神は「御心に留めて」(8:1)くださると信じます。(吉髙叶)