2024年9月1日礼拝「愛しすぎた悲しみ」

創世記37 章18-36 節

「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。」父はこう言って、ヨセフのために泣いた。(創37:35)

創世記の「族長物語」は37 章を境に「ヤコブ物語」から「ヨセフ物語」へと移ります。「ヨセフ物語」は、「なぜイスラエルの子孫たちはエジプトに生きていたのか」という歴史的な「問い」に対する原因物語です。この「問い」は、「出エジプト」という後の時代に起こったイスラエル最大の出来事を視座にし、遙か400 年以上の昔を遡るかたちで立てられています。「そもそもなにゆえにイスラエル(ヤコブの子孫)はエジプトに居留するようになったのか。」その顛末はヤコブの11 番目の息子ヨセフの奇怪(きかい)でドラマティックな人生の道のりに牽引(けんいん)されていて、しかもその背後には、その時の誰もが知る由もない「あまりにも大きな歴史の流れを用いて御心(みこころ)を実現なさる神の配剤(はいざい)があったのだ」という信仰によって編(あ)まれた物語です。
ヨセフは父の最愛の妻ラケルの長子で、他のきょうだい達とは格別の寵愛(ちょうあい)を受けて育ちます。一人だけ美しい裾(すそ)長の着物を与えられ、労働を免除されています。それだけでも、きょうだい達の妬み(ねたみ)を買うには十分ですが、ヨセフには予言的な夢を見る特性が備わっています。「かわいい夢」を見ている分には良いのですが、兄たちや父までもがヨセフにひれ伏している夢を見たりして、さらにはそれを兄たちの前で語り聞かせてしまうという厄介で脳天気な性格ですから、ヨセフへの兄たちの怒りは殺意を抱くほどになっていました。
ある日のこと、10 人の兄たちが天幕拠点のヘブロンから遠く離れたドタン(ヘブロンから北へ約90Km)で牧羊をしているところに、父ヤコブの遣いでヨセフがはるばるやってきます。「父の目の届かないここでヨセフを殺害しよう」との恐ろしい誘惑が兄たちを捕らえます。すんでの所で「きょうだい殺害」という最悪の悲劇は回避されますが、ヨセフはエジプト行きのイシマエル人隊商に売られてしまうのです。エジプトに奴隷として売られた少年ヨセフ、これがイスラエルのエジプト移住物語の発端です。「ヨセフ物語」には、父親の偏愛(へんあい)、妬みを基底としたきょうだい間の確執、故郷からの隔絶(かくぜつ)、移住地でのサバイブ、そして親きょうだいとの再会・・・と、「ヤコブ物語」と同様のモティーフを存分に受け継ぎながら、舞台も物語もかなり壮大なものとなっています。本日から一ヶ月は、この「ヨセフ物語」をご一緒に辿ります。吉髙叶

関連記事

PAGE TOP